比べる→比較する
背比べ…位までは良い、微笑ましい。小学校へ上がる頃から「比べる」が本格的にスタートする。いつ終わるかと言うと人によっては死ぬまで。
若い頃から思っていた…人間はせいぜい比べることぐらいしか能力がないんじゃないか。能力を比べるなんて人を馬鹿にしている。能力の基準なんて何百通りもあると思ってますので。物差しの使い方を間違ってる(前住んでいた家にあった柱の傷、背比べのメモリ、そのまま直さず残してある、、、前住んでいた人が見に来た時喜ぶかもしれないと思って…柱を物差しがわりにした例)
誰それさんより誰それさんの方が美人(蓼食う虫も好き好き、ぽっちゃり系がいいのか細くて折れそうな人がいいのか、丸か四角か三角か、はっきりしない)
誰それさんより誰それさんの方が頭がいい(頭の形がいいのか、頭の固さが尋常でなくて、頭突きを食らわせるのに有効な頭なのか、クイズに強いのかはっきりしない)
誰それさんより誰それさんの方がお金持ち(持ってるだけで、お金の使い途が分からなくて、毎晩、指を舐め舐めお札を数えるのが趣味の人がえらいと言いたいのか、札束で頬をはって欲しいのか、はっきりとしない)
誰それさんより…もうたくさんだ。そんな基準…何の基準?
競争する事は仕方がない人間の性質だから、面白いしね、要はルール作りだと思いますね。全く違うルールをみんなで作れば全く違う世の中になる思います。100年ぐらいかけてそのルール作りをやって試しにそれで走ってみる。みんなでよってたかってやってみたら意外とそんなに時間がかからないかもしれないし。
実はかく言う僕もいまだに比較し続けている。わかりやすくて面白いからです。かつて100人ばかりの小さな会社(前の日本の社長がアメリカのパラマウント映画、その親会社の石油メジャーに自分の会社、社員丸ごと売っちゃった、結果、100%外資系企業に変身。前身は娯楽機械輸入貿易商社)の上層部の、世間ではインテリと称される人たち同士の不毛な戦い、派閥争い、を目の当たりにして、これといった学歴のないぼくは、、、ばっかじゃないの、と最初の会社と比較していた。前の会社では中卒高卒大卒も職制等級別に同じ年齢ならばイーブン(引き分け)になる可能性が一覧表として出されていた。それが礼儀ってもんだろう。
(そこにいた時ぶったまげたことがあって…ある時、上司が親会社に出す長期計画にいろいろ頭をひねっていた。僕はちょっと聞きたいことがあってすいませんその長期計画って何年計画ぐらいなんですか?言下に、、2年、と、返ってきた。いえいえ短期計画じゃなくて長期計画のことですよ、とぼく。聞き違いではなかった、2年がその会社では長期計画だと言うのだ。当時のNECの長期計画は20年!成果が上げられなければ社長のクビが飛ばされるアメリカ、彼我を比べてみるまでもなくその経営体質の違いを実感した。100人ばかりの会社でロナウド社長のほかに2人も社長がいた!)
そこの会社、寄せ集めみたいにいろんなタイプの人が集まっていて(ぼくの上司も大学から引っ張られた)さしずめ「タイプ別人間サンプルハンドブック」って感じ。
一方、最初にいた会社は3000人ぐらいいたので「人間組織図鑑」規模だった(当時、組織を事業部制にして、経営の明確化、今で言う「見える化」を図っていた)。組織を俯瞰するには絶好の教科書みたいな図鑑を見ていたのでそれとの比較でハンドブックの安直さがわかったと言えるかもしれない。
(前の会社はいろんな学校から人が集まってできた技術屋集団。組合が新旧2つもあった。日本的家族経営の中小企業だったが、それでも、まれに落ちこぼれる人がいる。ぼくです)
人物評価において、IQとか偏差値とか…比較する数字が偏っている。それが問題です。目安は欲しい。例えば企業にしても優秀な人は欲しい。マネージメント能力のある人が欲しい。〇〇の専門家が欲しい。今までにないキャラクターが欲しい。これはまあしょうがない、企業の存続の死活問題だから。企業は存続することが前提、ゴーイングコンサーン(継続企業の前提)、経理の教科書の1ページに出てくる。
(待てよ、資本主義のこの大前提崩してもいいようなシステムを考えればいいわけか。会社なんて潰れたって人間が潰れずに再スタートが切れればいいわけじゃん、ガラガラポン、つぶしのきく優秀な人材が揃った日本がやらなきゃどこがやるってんだよ)
偏差値脱却のために昨日いいこと思いついた。職業安定所でその人のキャリアアップを図るためによってたかって、前にも言った記憶があるけど、適性将来性性格健康…等について価値付け、評価付け、エバリュエイト(evaluate)する。入り口の所のオリエンテーションをしっかりやる。少し走ってみてもう一度分析して評価する→
(アメリカは新人を評価してどんどん登用していく。優秀な人材の絶対数が足りないからだと思っている。アメリカという国を評価するとすれば、その評価制度のおかげで副産物として生ずる、人の流動性の良さだと思う、偉そう🙄。ぼくがいた会社、優秀な人が次々、入ってきたけど…会社の体質を知るや、辞めてった人多かった。日本的粘着体質とアメリカ式速成部隊体質が混在していたのでかつて外資系にいた人はほとんど肌に合わなかったようです。アメリカの親会社に直談判して体質の不備をレポートして辞めていった、あっぱれな人もいた、ぼくが直接本人から聞いた話。親会社としては純利益率10%以上!の表面上、超優良子会社の退職社員の身を切る訴えを多分無視したと思う。利益率が確保されている以上幹部の身は安泰)
→その人の将来性にかける。20歳の人には20歳なりの、70歳の人には70歳なりの将来性だ。不適正だった場合の道も用意する。罪を犯した人も敗者復活戦がある、そういう社会が柔軟性のある社会だ。トータルとしてのプラスを目指す。安易に決めつける適正不適正と言う言葉そのものがダメだ。そんなもやってみなきゃわかんないだろ。日本人全体の底上げをすることになると思う。人の動きが活発になる流通システムがいいと思う。
間口を思いっきり広くとれば、つまり人材を広く糾合すれば動かせるコマが増えるので頭が働きだす。あなたの頭は僕の頭、僕の頭はあなたの頭、人間はこういうシステムになっている。日本人にはなじみやすいんじゃないだろうか、こういうシステム。農耕民族の共同作業。少なくとも僕はそうやって生きてきた。人頼み人頼り。社会全体の底上げの具体的な方法を日本が見本を示せば良い。
適材適所は日本の家づくりの基本中の基本。働くと言うその意味が変わってきている時代に適応するシステムすぐにでも採用すべきだと思う。適材適所の視点からは人材が有り余っていてもったいない。若い人も高齢者も。僕はそう思う。僕1人がそう思ってもしょうがない…とは思わない。そう思ってる人はごまんといる、そう思った方が面白い。昔、向島でペンキ屋やってた時、近所のおばさんがやってきて…あんた、どこそこの横町に、欄間の透し彫の名人がいるのよ…仕事がなくて遊んでるから何とかしてあげなさいよ、、。彼女のなんとかしたい気持ちだけ伝わってきた。僕もいま、そんな気持ち。
(人に優劣をつけるのは面白い。人間が一番安定するのは自分より程度の低い人を認めた時だ、と言ったのは最初のぼくの相棒だ。優越感に浸る時、心は安定する。当たっていると思う。僕がそうだからだ、情けない)
僕は昔からこんなこと言ってきたので周りからは…でもいちまるさん、なになにさんは受験勉強で栄冠を勝ち得たその勤勉と努力、それは認めるべきだよ。
例えば、若い柔軟で対応力ある頭をそんなことに費やすその時間がもったいないと言っています。それは今までのシステムに合っていたと言うことなので今みたいに「大きく社会が変わらなきゃいけない時代」には、違うシステムを考えないともう間に合わない。よってたかってそのシステムを考えることに集中すべきと言っています(さっきから誰に言っているかと言うと…自分自身に言っています、こんな言い方ちょっと新鮮なので…一人二役漫才、面白いのでこのまま続けます)
世の中をどう渡っていくかなんて世知辛いレベルの話をしてるんじゃありません…僕は泣きそうになる。受験勉強そのものを疑え。コスパを考えろ。そっちこそいつもこんなこと言ってるじゃないか。お金を持っている人が勝ち。ドストエフスキーが100年以上前に、、、残念ながらそれはそうだとはっきり言える、と言っている。お金は知性も決定する(貧すれば鈍す)これはぼくが今、言いました。そう思ってるからです。それでいいのかと言っています。
あ、いかんこれじゃ結論にならん。えー、比べる暇があったら、、、その暇に飛び出せ、よし
(今日は躁状態のこんなデタラメな文読んで下さってありがとうございます。数少ない読者のみなさん、お見捨てなく、あともう少しの辛抱です)
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最終更新: 2021年3月04日
動詞マニア 比べる 021
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進取の気性!憧れますね、おっしゃる通りです!能天気な大人がいっぱい欲しいです、女の人にはモテないし、間がモテない、暇持て余しているぼくらの世代の出番なんですよね、岡目八目でびすこさんには丸見えだと思います、僕の最初の相棒がよく言ってました…金も能力もない奴は力出せって、自分自身を鼓舞していました^_^(彼はM大の商科卒で簿記もできないのに、東南アジアへ焼き鳥の研究に行ってそれ卒論にしてお情けで卒業したと言ってました、あれ?これクレマチスさんも似た話されてましたね、あ、えへん!エールありがとうございました、がんばります^_^