< 食べる >
(今、メモに今日のブログを書き終わったところでうっかり操作を間違えて全部消してしまった、ガッカリ😞ふー、こういう時は風景で思い出す…落ち着こう😑)
Mさんとファミリーレストランで食事。もうMさんは朝から興奮気味。朝、彼を迎えに行って歩み板2枚を使って、箱型のぼくの小型のバンに車いすごと乗り入れ、僕が設置した緊締金具で4カ所がっちり固定する。四つ木から奥戸のジョナサンに向かう。到着したらファミリーレストランの人にも手伝ってもらって車椅子を2階に上げる。(裏のエレベーターから移動したかどうか記憶がない。あの頃、駅のホームにも、レストランにもエレベーター位つけろと友人たちが運動していた位だからなかったかもしれない)
着席したら、もうそれだけでMさんはニコニコ。僕は内心それどころではない、仕事のことが少し頭をかすめるが怠りないこと確認して落ち着く。レストランに注文を伝える、Mさんニコニコニコニコ。サンドイッチとかポテトチップスとか食べながら危なっかしくコーヒーカップを持つ。その頃はまだコーヒーカップを持ててた記憶がある(脊髄小脳変性症は進行性であるが症状の出方は個人差が大きい)。家に閉じこもりきりの彼にすれば今日は小旅行のようなものだ。
彼の椅子の後ろを人が通るだけで彼にとっては新鮮な風だ。彼のことを子供たちがジロジロ見る、それすら彼にとっては喜びなのだ。喧騒そのものが非日常。彼を無事家に送り届けてヘルパーさんとハイタッチ。外食が彼にとって一大イベント、お供がぼくじゃなくて彼女だったら彼は失神してたかもしれない、あはは。僕は結婚をしない主義(僕が言ったんじゃなくて友人がそう噂していた、女嫌いと言われたこともある。本当は大好きなのに…)らしいけど、、、彼に恋人ができていたらどんな顔をしていたのだろう、、、。
食事は親しい人とするのが一番だね、気の合わない人とだったら一緒にいるだけで苦痛、と車椅子の僕の友人が言う、そりゃそうだ。彼と彼のお姉さんとお姉さんの友達と僕とで、順天堂病院の帰りか何かで飯田橋のエドモントンホテルによって食事をすることになった。僕の汚い工事車でホテルの入り口に止めると…ドアマンが慌てて駆け寄ってきて、あ、工事車はあちらのほうに止めて下さい!
あ、ハーイ、、、僕は何食わぬ顔で、彼らを下ろし車を駐車場に止め彼らに合流する。何を食べたか覚えていない。天井の高い見通しの良いレストランで彼らが食事をしながら心から打ち解けた様子で談笑していたシーンだけがかすかに記憶に残っていた。
立石に、富士という中華料理屋さんがあった。
ワンタンを食べているとね、女将さんがね、あとからお汁を持ってきて、足してくれるの、、、
と母は嬉しそうに話す。2度も3度もこの話を聞いた覚えがある。
喧嘩はものを食ってからやれ、と言ったのは父。その朝、僕が頼りにしていて尊敬もしている僕の仕事の相棒が血相変えて、僕に憤慨している。殴られると思った僕は彼を堀切のファミリーレストランに誘った。とにかくなだめてレストランのモーニングを食べた。父の言いつけを守ってよかった。僕は仕事上の非礼をわびて、事なきを得た。父に救われた。満腹は腹の虫も納める。
(今。人と待ち合わせているのだが…その間に書き直しができた。こっちの方が文章が生きているような気がする、書き直してよかった)
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最終更新: 2021年2月15日
動詞マニア 食べる 004
動詞マニア 食べる 004
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尊敬レベルの偉さだと思います、そこまでお母様を甘えさせてさしあげたびすこさん、お母様とすればびすこさんが、大人だったので悔しかったんじゃないかな?それってのは…お気を悪くなさらないでくださいね、子供って親の堪忍袋の臨界点を確認したいものなんですよね、つまりお母様はびすこさんの子供になりたかった^_^
また母親の話。彼女を食事に連れて行くたび、困惑したり不快な思いをしたり。ハマチのお刺身を口にして「これ、養殖よね、抗生物質の匂いがする」、サバが出たら「これは古い。いくら濃い味に煮つけても分かる」、ブロッコリーのゆで加減が「柔らかすぎ」、ステーキをナイフで切ろうとして「だめだわ、こりゃ。固い。安物ね。あんた細かく切って」と私の方におしやる。知り合いのお店で味噌汁が出て「実だくさんにしておきました。身体にいいっていうから」と女将さんが言うと、「実の多い味噌汁、下品で嫌い」。
ねえ、私ってエライでしょう。こんな親と60年付き合ったんだから。