9月12日(火) 曇り時々晴れ予報
昨日ゆっくりマイペースで泳いでいたら…このコースは初心者用でクイックターンは禁止ですと言われました、はいごめんなさいよく言って下さいました、みんな心で思っていても言ってくれないんですよね、、と如才なくフォローアップしてにっこりしました(会話は全て僕の耳の近くに彼女の口元を寄せてもらって大きめな声で話してもらっています、まわりで見ていたらまるであの2人できているんじゃないかという感じだろうと思います…嘘でーす)
ホントのところは、がら空きで誰の迷惑にもなっていなかったんですけどきっと我慢してたんですね、決まりはきっちり守ってください…私はそうやって決まりを守ってきました…そう伝えたかったんだろうと思いました。
四つ木御殿の猫の額ほどの狭い庭を少し整理して午後から読書、本の題名はショッキングですけど結構面白かったです。
どこへ向かって死ぬか(森有正と生きまどう私たち):片山恭一著: NHK出版2010年9月第1刷発行
森有正は1950年にフランスに留学するも、当初の心づもりでは1年位の滞在で帰る予定だったらしいです。それが20年にも及ぶ滞在の後フランスでなくなります。
どうしてそうなったかの物語です。
ノートルダム寺院が好きで、タルタルステーキが好きで、オルガンが好きでついに自分でパイプオルガンまで買ってしまう人物です
(そのためにそのパイプオルガンを置いてあるところの館長まで勤めてしまうのですから大人物、と著者も言っています)。
収入はパリの大学で日本語を教えるなどして得ていたようです。
日本の文部大臣まで務め暗殺された人物を祖父として持ち、父親も40代の若さで亡くしています。
通読して思った事は、森有正はキリスト教に深く通じていて、自分とは何か、フランスにおけるキリスト教とは何かについて生涯を通じて考察を深めた人、なのだなぁと思いました。
一方、著者は森有正を紹介しつつ、資本主義の行き着く先を心配しています。
超便利な分、自己完結的に孤立していく日本の未来。疑似恋愛的にしか恋愛できない状況(おいおいそこまで言わなくていいよ)。
僕は僕で…都市で暮らす住人は確信犯的にそうしたくて、集まっているのだろう、という結論です(わざと強引にこう言ってみています)
世界とか自分自身を考えるよりは「浮いている」ことを選ぶ。というか「浮いてしまう」世の中だと言ってみると面白い。深くもぐれない世の中。
神と自分の1対1の会話か、自分自身との対話を深めていく「時間がない」からという言い訳けまで付く。
森有正はその時間を作るためにフランスには渡り、「時間を作った」のだと思いました。
新しいものは便利で綺麗で能率的、過去は振り返らないという意味では日本は世界の最先端のような気もしてくる。
最先端と言うからには尖っていなければいけないのですが(え!?そうかな)尖っているようには見えない。
尖っていては人口密集地ではストレスが多くて生活していけないから、「とんがってもいられない」。
日本にいながら周りが外国に見える僕は、きっと「そう思おう」としているからだと気が付きました(外国にいるのだからお付き合いもほどほどに)。
みんなきっとゆっくり自分の内なる神か、本物の神と話がしたいのに「なんだかそうできない」のは、そうする前に、過剰な浮力を得て、世の中をスイスイ泳いでみたいからだ、、とわざと昨日読んだ本の著者と違う結論を導いてみました😅(そうやっていろいろトライしているうちにあっという間に自分のステージを降りなければならない…ちょうど時間となりました、、みたいな感じで…バイバイ
あのね(ぼくの父登場)人間の一生ってちょうどこれぐらいでいいかなーと思う(時間の長さ)期間なんだよね、、ですって(ほんとかよ?)。
そんな父がある時ぽろっと… (一生は短いので)生まれかわるつもりでいる…と言いました(楽天家) 😉
欧米人は神と1対1で語る人が多いので(調べたわけではありませんが)僕らよりは自立している感じが強いような気がします(自立ってきっと寂しいんだよね)。
日本中、村社会の閉じた世の中が嫌で、人々は都市に集中しているのに、いざ集中してみれば…今度は集中によるストレスが増える、、結果目に見えないバリアを張る、人間の密集度に反比例して人間の親密度は疎遠になる、と言う説の通りの世の中になる。
1,000万都市は隙間産業で満ち溢れる、その分人の交流は増える。つかず離れずの親密度を楽しめる(親密度の選択)。
うーん🤔与えられた一生の時間では考える時間が足りない…足りない分は次世代に回す、、ひとりの人間にガタが来た頃、借金も資産も思想も次世代に回す。バトンを受け取らない人たちもいる。
一見自由な世の中は結構不自由、あはは🤣
禁止事項というのは、往々にして無意味な状況がありますが、(今回のがら空きプールの件、車が一台も通らず、しばらくは通ると思えない道でも赤信号が青に変わるのを待たねばならない等)、臨機応変とか暗黙の了解というような、周りがほぼ同じメンタリティを共有しているようなホモジニアスな社会では有効な生き方が今は難しく、そしてそういう社会を時代遅れとして嘲笑するような風潮の現代では、とにかく規則さえ守っていれば事無く暮らせる。(私はホモの社会もまた多様性の一環で、ヘテロを主張する人々にもそれを認める寛容さがあってほしいと願うものですが。)
森有正には若い頃の読書の思い出があります。この人の「木々は光を浴びて」という著書を30歳の頃に読んでよかったので父親に勧めたら、彼の方が大ファンになってしまい、森有正全集も日本の実家にありますが、帰国の都度慌ただしいので結局私は3冊ほど読んだだけになっています。
フランスが好きな人って、ちょっとクレイジーなほど入れ込んでしまうのですね。こういうの、フランスに淫している、というのでしょう。そういう日本人を主人公にした中編を最近偶然に読みました。「ムッシュ・クラタ」というの。作者は意外にも山崎豊子です。笑えるような、でも考えさせられるような。
これから「外国」にちょっと出かけますので、土曜日までコメント無しです。コメントは義理や親切心からではなく、私のお喋り好きの所以ですのでお礼を申すのは私の方です。外国というのはスロヴェニアで、出張ですってさ。ここからは航空機でウィーンへ、夫の同業者をそこで拾って彼の車でバルカン半島へ(拾ってもらうのはこっち)。面倒なことの嫌いな私は、目的地がユーロ圏で両替の必要がないのがありがたい、と思う程度です。