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朝起きてそそくさと食事を済ませこの本に取り組みました。途中疲れるまで読んでジムに行って体をほぐして帰ってきてから焼きおにぎりとかおせんべいとかトマトとかその辺にあるものをお腹に詰め込んでまた読み出しました。
日本語の哲学へ:長谷川三千子著:ちくま新書2010年9月第1刷発行
文庫本だからといって内容の難しさは何とかなるものでもなく…僕は仕方なく自分の勝手な仮説に沿って読み進めることにしました。そうでもしなかったらとてもじゃないですけど、、
第5章「もの」の意味
第6章「こと」の意味
まで読む「こと」はできなかったと思いますし、僕にとってこの本は「もの」にならないまでも心に残る「もの」にさえならなかったと思いました。
最後のページから引用します
238 〜239ページ
日本語には「もの」という言葉がある。…中略…
和辻氏が「日本精神史研究」に語ったとおり、「もの」とは「個々のもののうちに働きつつ、個々のものをその根源に引く」はたらきを指して言う言葉である。そして「もののあわれ」とは、そうした「おのれを示さない(ない、傍点付き)」ものがそれとしてあらわになることに他ならない。ハイデッガーが「言葉が欠けている」「文法が欠けている」と言って歎いた、存在者の底……あるいはむしろ、存在者の無底……を示す言葉。それが日本語にはそなわっているのである。
しかも我々は、それと同時に「こと」という語をもち、事が事として出現するのを受けとめることができる。そして、われわれはこの「もの」と「こと」を自在に交差させて「人生はむなしいもの(もの、傍点付き)だということ(こと、傍点付き)が、この年になってようやくわかった」などと言うことができるのである。
和辻氏が「日本語と哲学」のメモに記していたとおり、日本語は決して「底力を持たぬのではない」。むしろ、そこには底知れぬ力がそなわっていると言うべきであろう。
この「底力」はふだんはわれわれ自身に少しも意識されない。それは、こんな風にして直接に「哲学」とぶつけ合わせてみるとき、はじめてその実力のほどを見せつけてくれることになるのである。いまここに見たのは、もちろん、その底力のほんの一端に過ぎない。。まえにもちらりとふれた、日本語の「てにをは」のもつはたらきは、いま見た「もの」と「こと」の補完的なはたらきとあいまって、われわれの「わかり」の形をつくり上げている。それをたずさえて「哲学の根本問題」に挑むとき、そこにいかなる知のドラマがくりひろげられることになるか……。
日本語の哲学への道は、いまようやく入り口をあらわしたばかりである。
引用以上。
この本も、わからないまでも手元に置いておきたいのでアマゾンに発注しました。送料を含め360円!でした。
(※僕の仮定とは
言葉が全て「名詞」を見出しとして脳みその中に収まっている、という仮定です。一つ一つの名詞は抽象名詞。例えば象と言えば、象に関する経験したすべてのイメージが脳に蓄積されている。
今言った「抽象」の中にも象がいる。でもその象は象という名詞(見出し)の中は多分いない。いかなる見出しの中にいるかは多分そのうちシナプスのつながりを研究している科学者が発見する。
なんでそんなつながりが幼い子供でも作れるかというと…それも科学者に聞いて下さい。言語以外の信号があると思った方が面白いですね。
この括弧の中の発言はもちろん全て与太話です、真面目にとらないでくださいませ。
あっ、1つだけこの与太話が役に立った例を挙げさせてください。
それは昔読んだ白洲正子の本の中で…著者がシャガールの有名な
「私と村」の絵が気に食わなかったらしく、わざわざその絵の写真を本の中に掲載して、くさしていたのです。何もそこまで言わなくてもと、、ぼくは思いました。
でも僕は今日それが、著者の脳みその見出しの中にプラスイメージの色の組み合わせと形の配置になっていなかっただけだと勝手に分析?しました。
今回読んだこの本もこんな調子で読んだのです。ハイデッガーと和辻哲郎がドイツ語と日本語でそれぞれ同じテーマの哲学をしたときの思索の展開を丁寧に長谷川三千子が易しく説き起こしくれるのですが、いまいち分かりにくかったりすると、、日本語とドイツ語では、名詞に連なるイメージが違うんだから当たり前じゃんみたいなこれ以上ない荒っぽさの四捨五入です。
こんな調子で、この本を読んだことになるわけないなと思ったものですから…手元に置いておくわけです…あはは🤣、、さてとではこれから遅い昼ご飯を食べます、残り物整理します、食べ過ぎると晩酌がまずくなるので腹6分目位にしておきます😅今日は本当に涼しくて楽です)
日本語とドイツ語では名詞に連なるイメージが違う。これはその通りだと思います。日本語の「丘」と英語のHillは同じではない、と言った人がいましたが、ドイツのHügelとも違うようです。第一、我がバーデンヴュルテンベルク州生まれのハイデッカーの愛したシュヴァルツヴァルドのようなHügelは日本にはありません。彼はこの地区で最大(といっても人口23万人弱で大したことはないのですが)の都市フライブルクの大学で教鞭をとってここで亡くなりました。かつては名門として知られ多くの有名な学者を輩出しましたが、今は数ある国立大学の一つです。これはハイデルベルクも同じ。フライブルクの写真に見る朱色の建物には、かつてエラスムスが住んでいたことがありました。古い町であることは確かです。
ハイデッカーといえば、野上弥栄子の随筆集で当時大学生だった三千子さんのことが言及されていて、「孫が来て、しばらくハイデッカーとヤスパースの話をした」という文があったと記憶しています。祖母と孫娘がそんな話を。すごいですね。