8月31日(木) やや曇り予報
昨日8月をまとめてしまったので今日の文章は穴埋めです。最初にお断りしておきますが、、間違いなく…読まなきゃよかった、、という類の文章なのでそういうまどろっこしい文章が嫌いな方はパスしてくださいませ。
小説を何のために書くか、僕にとって、単なる暇つぶしの類であることは想像がついているのですが…暇つぶしにも意味を持たせた方が良いのではないかなどと、さっきから思い浮かぶままに書き連ねていくのですがうっかり結論を書きたくない気もあって…つまり頭の中に浮かんでくる考えをあーでもないこーでもないとつつき回していても一向に気持ちにストンと落ちてこない
そのうちこういうことかと納得がいく。小説は書いてみなければわからない。わからないからそれだけで書く前からなんとなくワクワクするので楽しいのだ。楽しければいいじゃん、ほんとに?
時代を超えてその時代のリアリティーを盛り込むそんな目的のために書く人もいる、時代小説。知らない世界のドキドキを先取りするエンターテイメントとして未来小説を書く人もいる。今、生きているこの世界や日本がどういうことになっているか解剖して見せてくれる小説も多分あるだろう(長谷川三千子の著作は小説ではないがそのような本みたいだ)なければこれから生まれるだろう。
時代が求めているものをうまく表現できればその本は売れるだろう。人間の迷いに応える本は飛ぶように売れるだろう。読めば幸せになれる本はそこそこ売れるだろう。読むだけで悲しく涙がポロポロ落ちるような本はいつだって必要だ。嘘っぱちを暴くような本があれば僕が求める。
さて小説をなぜ書くかという本題に戻って、、なぜ書くかよくわからない。
考えてもわからないときどうするか。とりあえず歩き出すか体力が余っていたら突っ走る、疲れたら休む、休みながら考える、走る、歩くまた休む。こけたら膝についたほこりを払いまた歩き出すか走る。休む。休む。休む。人間はほっとけばいつか深く、どこまでも休む。
僕みたいな凡人が、たかだか75年生きて出せる結論などあるわけもなし、出さなくて正解。かといって輝かしい人類の英知の膨大な古典ひもといて読む気力もない老体、人畜無害の小説書き、上等。
ぜいたくな暇つぶし、社会から何かを期待されていない人間は、小人閑居(かんきょ)して不善を為す、よりは時間つぶしをして邪魔にならないように生きて行けば良い、、生きていけるもんなら、、うん、今日のところはそんな気分です。
こんな文章読まされる人に最初から謝っておきました。一般的に女性はこういう文章が嫌いという偏見に近い予想が僕にはあります。
おはようございます。はい、いよいよ葉月も終わりですね。(葉月は旧暦では今の9月だったみたいですけど。)きょうもまたお喋りのためのトピックを提供してくださってありがとうございます。
今回は小説論ですか。その前に、枯れたりとはいえ、私も未だ一応は女性ですけど、嫌いではありません。ええ、偏見に近い、ではなく、偏見そのものですよ。プン。
私は近ごろ、丸谷才一の最晩年のエッセイに鴎外の「追儺」が紹介されているのに気づいて、青空文庫で読んでみました。丸谷さんが「四百字13枚ばかり」と書いている通りごく短いものです。この「追儺」に書かれている「小説は何をどう書いてもいい」という台詞がその後の文壇を支配した、というのが丸谷さんの論旨です。
このエッセイはとっくの昔に読んだのですが、書評の部分がなかなか訳に立つので時々取り出して読み直します。最近、この春のことですが、帰国中に鹿島茂の「渋沢栄一」を読んだのも丸谷才一が「『明治の精神』の代表者」と題して述べている批評からでした。
鹿島茂のことはその丸谷氏に紹介されるまで知らなかったのですが、ちょっと調べるとフランス文学者で博学・物知りで粋で洒落てて・・・というその世界の典型みたいな人のようでした。自分はこういう人は縁遠いと思っていたのですが、「渋沢栄一」には恐れ入りました。決して読みやすい書物ではなく、それだけによくもまあここまで、と思えるほど徹底した調査をした上での著作で、自分の生来の溢れるばかりの才気に任せて、というようなところは全くありません。私たちと同じ団塊世代というのも、親しみを感じさせます。
さらにその彼が「小林秀雄論」を書いていることも知り、これは簡単には手に入らないので一般読者の評を読んでみたのですが、その一人が「私が小林秀雄を大嫌いな理由がはっきりした」として書いている感想が面白かったので一部ここにコピーします。
<著者(注:鹿島茂)は、小林は努力嫌いの手抜き人間、楽をして早く有名になりたい、出世したいという野望に衝き動かされた人間だというのである。「小林はショート・カット型の『面倒くさいことが嫌いな』立身出世願望の青年の典型である『ラスティニャック』(オノレ・ド・バルザックの『ペール・ゴリオ』の登場人物)のひとりであった。>
鹿島茂は私の最初のイメージと違って、努力することがむしろ好きで、面倒くさいことを少しも厭わない、学究者としても立派な人物、だというのが「渋沢栄一」を読んでの私の感想です。もっとも丸谷才一はこの書の中で渋沢栄一の「多彩な女性関係」について書かれた部分が特に秀逸、というようなことを言っていますけど。
追記:鹿島茂には「子供より古書が大事とおもいたい」という著書があり、これがめっぽう面白いらしい。図書館で予約なさってください。その子供連れで古書店まわりをした、なんていうエピソードもあるようです。