8月25日(金) 快晴予報
昨日小岩の貸金庫に公正証書を取りに行き、帰りもバスで立石駅前で降り再開発事務所に寄り登記のコピーをもらう。
家で一服してから思い立って川口市役所に出かけた。代理をするため委任状の雛形をもらい、申請の段取りについて教えてもらいました…ものはついでと…汗だくになりながら、すっかり足が遠のいていた兄の家に行き委任状を書いてもらって印鑑登録カードを預かってきました。
断っていたのですが頼まれて、兄の足の爪を有料でみがき、兄のお金で2人で寿司を食いながら、兄の普段の食事に思いを馳せました、ちゃんと食っているのだろうか。
兄の家の庭の手入れをダスキンに頼み、ラッシュアワーにかち合わないようにうまいこと帰ってきました。家に帰ってクイッーとビール、労働の後の1杯はうまい🍺。明日は墨田区役所に行く予定。嫌な仕事は一歩と言わず半歩だけでも少しずつ進めておくのが、仕事を片付けるコツ。
(半年ぶり位に電車に乗ったような気がする。JRで川口に向かう途中の車窓のかなたのはろばろとどこまでも水平に広がる入道雲、行きも帰りも入道雲のオンパレード。
空の低いところをフリーハンドでどこまでも長く伸ばして描いたような水平線で長く連なった入道雲の裾を掻き取ったような風景。
裾の上に発生した雲は行儀よくどんぐりの背比べで団子になって連なって、くまなくもくもくどこまでも続く。
そんな雲のパフォーマンスの車中の観客は僕一人、独り占め。
地球ぐるりの円周のほんの一部の弧の空に夏の巨大な蜃気楼。
面白みのない直方体のビル群の描くスカイラインを設計した都市デザイナーたちは、雲に感謝すべきだと思います。
下手な建築家が仕上がりのアンバランスを整えるためにビルの周りに木を植えるのがごまかしのお笑い種であるように、都市デザイナーも雲に笑われている、、
建物はもっと柔らかく作らなければダメだよ、、なんてね。
柔らかく、とは例えばサグラダファミリアみたいな、日本の桂離宮みたいな、シドニー・オペラハウスみたいな建物、、というか、人を包み込む容れ物の風情。
もくもくと天突く雲の底は海
(それにしても疲れました…体が鈍っているのではなく「仕事」がきつかったのだと思います。こんな日々を重ねていたら1日はおろか1年だってあっという間に過ぎてしまう。かつてこんな仕事を30年以上も続けていたのだなぁと思ったら涙が出てきました…うそ😜)
この欄になかなか入力ができなくて苦労しました。
「かつてこんな仕事を30年以上も続けていたのだなぁと思ったら」、最近私も同じ感想を持つことが多いです。生まれつき体が弱いとかこぼしながら、あんなハードなスケジュールをよくこなせたものだと、今さらながら年齢というものの「手に負えなさ」を実感します。
先日古い記事の切り抜きを探していて、結局それは見つかりませんでしたが、代わりといってはなんだけど、1992年になくなった長谷川町子さんについて1993年に富岡多恵子の書いた記事があり、そこに老いと病、老人と病人の違いについて述べられていました。病は治すことができる、回復・退院がある。しかし老いは不可逆的なもので、元には戻らない。
闘病という言葉がありますけど(これ、あんまり好きじゃない。ドイツ人は好きらしい)、今はみんな闘老というむなしい試みに必死になっているのかもしれません。