8月19日(土) やや曇り予報
暑いと頭がぼーっとしてしまうので濡れたタオルをはげあたまの上に乗せて本を読んでいます
ん 日本語最後の謎に挑む:山口謠司著:新潮新書2010年2月発行
仏教の真理を追求したお坊様達が梵語の経典が伝える「真意」をいかに伝えるかを探求してゆく。その後いろいろあって、「ん」の字にたどり着く、、めちゃくちゃ大雑把に言うとそういうことらしい。執念に近い↓
102ページ
彼らは、空海と同様に、情報としての言語ではなく、人間の本質を知るために言語を追求しようとしたのである。
引用以上
彼ら…とは空海や最澄につながる仏教徒。
人間の本質とは…仏典があらわしている真実の意味。
最後のほうの著者のエピソード紹介しておきます、奥さんはフランス人
182〜184ページ
「鳶が鷹を生む」をどう読むか
ところで、たとえば「鳶が鷹を生む」という諺を書いて、学生に振り仮名を振らせると「とび」「たか」「う」とそれぞれの漢字に仮名をつける。
次にこれを声に出して読ませてみると、ほとんどの学生は「とんびがたかをうむ」と読む。
…中略…
「ん」は言語としての音であると同時に、リズムを整えるための役割を果たしている。
そして、これは冒頭で述べたようにフランス人が「んー」という日本人の返事をイヤだと思うことと無関係ではないのである。
「イエスなの?ノーなの?はっきりしてよ!」と切り込んで来るフランス人に、「んー」がどんなふうに嫌いなのかと訊くと「聞くと不安になる」と応えるのである。
その不安から筆者の妻などは「考えているなら、考えているって言えばいいじゃない」と言うのだが、じつは我々日本人の「んー」という返事は、すでに触れたように「イエス」と「ノー」を保留して、リズムを整える役目を果たしているのである。
俳句や短歌を作っているひとと話をすると、最近の若いひとはまったく日本語としてのリズムを失ってしまったと嘆かれる。「そのせいで、俳句も短歌も作れなくなった」、と。
引用以上
テキトーに五七五を作って遊んでいる僕としては、うまいの下手だの固いこと言わずに作って遊べばいいのになぁと思いました、遊び方いろいろ。上手いか下手かなんて本人が一番よく知っている。日本語に聞け。自分でしゃべって自分で聞く。下手の横好き、枯れ木も山の賑わい、僕のことです。
昨日ヨーカ堂へ行く近道を見つけ、ヨーカ堂の裏口から入りました。裏口って何か魅力ありますね。通常ルートでないルート。予定している僕の小説にもいっぱい出てきます。
リズムって大切ですよね。5・7・5なんて語調はもちろん外国語にはないけど、韻というのがある。英語もフランス語もドイツ語も、それから中国語も。その枠の中で言葉を構築していく。
それを考えると、日本の自由詩ってとても大変じゃないかと思う。好きな調子で書けばよくて、韻もその他の縛りもない、というのは自由なようで不自由。
これが私の故里だ
さやかに風も吹いている
心置なく泣かれよと
年増婦の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
さて、この詩のどの部分、どの組み合わせが人を感服させるのでしょう。