8月6日(日) 快晴予報
インターネットはからっぽの洞窟:クリフォード・ストール=著:倉骨彰=訳:草思社1997年1月第1刷発行
(ハイテク教室の子供たち)より引用
227〜228ページ
子供は好奇心があるから学習するのだと思う。だが、この好奇心というものを子供に植え付けるソフトウェアは市販されていない。好奇心は、環境との直接的なふれあいを通じて芽生えるのがふつうであって、コンピューター画面上のイメージにいくらふれあっても芽生えはしない。だから子供の好奇心を育てるには、スライドショーやビデオといった抽象的なものより、組み立てセットとかクレヨンみたいな、自分の手に取って遊べるものの方が必要だ。
思うに、学校が好奇心や探究心、知識欲を刺激するところであれば、子供たちは、大人に言われなくてもコンピューターを習うはずだ。音楽や科学、歴史の授業にもちゃんとついていけるだろう。
しかし、学校が子供にプレッシャーをかけてコンピュータの使用方法から仕組みまでも勉強させるとなると、落ちこぼれてしまう子供がどうしても出てくる。与えられる教材を盲目的に覚えこむ暗記ロボットみたいな子供も出てくる。
引用以上
249ページ
子供たちが習わされているのは、何時間もモニタを見つめることであり、コンピューターの言う事は黙ってそのまま受け入れることなのだ。世界はユーザーの思うがままにプログラムされていて、マウスをクリックすれば正解が求められるということなのだ。また、彼らが瞬時に情報をやりとりできる電子メールから習っていることは、一過性の浅薄な人間関係だ。キーボードを一たたきすればフラストレーションを吹き飛ばせるコンピュータでは、忍耐や辛抱など不要だ。正しい言葉遣いのための文法とか、表現力とか、他人とのつきあいなどどうでもいいことなのだ。引用以上
この本が書かれて26年後の今、スマホ普及率はロシアでさえ7割近い。気づかないうちに1日数時間スマホの画面を覗いている人は普通だと思う、今チェックしたら僕でさえ4時間!もう病気に近い。このコラム300回までいったら少し考えます。
興味の赴くままにトピックに触れて、出来事を知った気になる、まぁ新聞を一覧するようなものでしょうか、、と言っては新聞が気を悪くするかもしれない。ピンポイントで話題を拾っていくだけで、社説に相当するものには出くわさない。そのうちにも「人心撹乱用語」は丁寧に摘発されていく。
そうこうしているうちに10年ごとに世代が形成され、性格付けられて、データとして記録される。
性格付けるのは誰、記録するのは誰…性格付けも記録も「データ」そのものに語らしめるので誰と特定はできない?!
歴史はデータとして積み上がっていく
、、はいごめんなさい、知らない間に小説の世界に入ってしまいました😅
小説はパソコンのキーボードで入力していこう。もう少し静かな生活になる?
(昨日夕方ギタークラブに顔出しました、あいにく10人ほどのアンサンブル!を聞き逃しましたがその後の中華料理店での暑気払いに出席しました、用事があったのですぐ失礼しましたが…同じギター仲間いいもんだなぁと思いました、弦楽器の人って皆さん繊細、お酒の席なのに静かな暑気払い、、あはは)
スマホは未だにうまく使えていないのです。東京でクレマチスさんが見て「これはとてもいい物ですよ」って褒めてくれたんだけど、宝の持ち腐れ。(3年前に夫にその姉が誕生日プレゼントとしてくれたのですが、彼は「俺、要らないから」と私に回ってきたというわけ。おまけに、当時は夫が義姉のことに腹を立てていたため、こんなものもらって恩に着せられるのはいやだ、とその代金を送金したという曰く付き。姉がその直後に倒れてからは関係を修復しましたが、やっぱりもらっておくわ、とも言いにくいしね。)
私はただ、出先でインターネットを見るのと、写真を撮るのと、緊急の場合に電話を架けるのと、これだけの用途で十分なのです。それとね、夜中にふと何かを調べたくなった時、デスクトップのPCをオンにする必要はなくこのスマホでウィキなども見られる。明日の出かけ先の天気予報もこれでOK.
しかし、何かを入力しようとすると、文字の小ささとキー(って言わないか)の微小なのにまいる。私は手先が割と器用な方で細めの指先で何とかなりますが、普通の高齢者(うちの亭主など)が例えばaという字を押そうとすると、周りも含めて4文字くらいを押してしまう。みんなそういう苦労はしていないんでしょうか。老爺・老婆がスマホを操っているのを見ると不思議でしょうがない。