6月22日(木) 曇りのち雨予報
今日は雨模様で涼しい
昨日また最初の方だけ読んで、読みさしになっていた本を読みました
梁塵秘抄(信仰と愛欲の歌謡): 秦恒平著:NHKブックス311: 1978年3月第1刷発行
後白河院は今様の謡いの芸の探求者だったのですね。まつりごとの渦中にいながらライフワークを完成させた、、おかげで僕らは当時を思い出せる?!
武家がのし上がって台頭する日本の12世紀を生きて、凌いで、フィールドワークよろしく世俗の愛と悲しみを軽妙な歌と拾い上げ、謡ってみれば、、その当時の現代が生きて蘇る、、荒っぽく、、著者がこの本で言いたかったことと後白河院の成した仕事を現代風に表現すればそういうことになろうかと思います、偉そうですいません。
後白河院は芸の求道者ですから弟子はたくさんいた、、が師匠はだれか?
132ページ
…前略…ところが師匠の方、これは五条尼とも呼ばれる乙前(おとまえ)という老女を見つけます。名人中の名人、本物の正しい名人、とすっかり見極めますともう後白河院は、多分流れの遊女ででもあったのでしょう乙前をば、はっきり先生、師匠、の座に据えて学びに学ぶ。乙前はすでにお婆さんですが、熱心に丁寧に一切承知の技や芸を教える。このニ人の、親子も及ばない師弟関係は「梁塵秘抄」口伝中の圧巻、白眉です。まこと奇跡と呼ぶに近い間柄です。そして乙前、は八十四という高齢で、病死いたします、、後略、、引用以上
というエピソードを聞けば後白河院が単なるやんごとなきお方とは無縁の方ということがわかります。市井に通じた、通なお方。
巻末にあった、梁塵秘抄からの著者が選んだ138首のうちから数首をあげておきます
434番
池の涼しき汀(みぎは)には 夏の影こそなかりけれ 木高き(こだかき)松を吹く風の 声も秋とぞ聞こえぬる
447番
ちはやぶる神 神にましますものならば あわれと思(おぼ)しめせ
神も昔は人ぞかし
460番
恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢はいかが見る さきさききしと抱くとこそ見れ
475番
淀川の 底の深きに鮎の子の 鵜といふ鳥に 背中食われてきりきりめく 可憐(いとを)しや
以上です
清澄で、人懐かしく、柔肌の、弾ける子等の、明日に幸あれ
これは10年ほど前に読みました。最初仏教の本と思って実家から持ってきて「そのうち」と手に取らずにいたのですが。
最初は確かに仏様の話なのだけれど(「仏は常にいませども、現ならぬぞわれれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう」とか)、仏と関係ない後半の詩はとても面白い。
これは、最初から面白おかしい歌を紹介していると不謹慎とされるので、真面目ぶって仏を話題にした後、そのご褒美にちょっと艶めかしい歌を出してくるのは大丈夫、ということだった、と誰かが書いていました。
「われをたのめて来ぬ男角三つ生ひたる鬼になれ」なんてじゃれ唄、面白いですよね。
後白河院は和歌はからきしダメだったので、それを補うべく今様に凝ったと言いますが、書いた物は残っても昔の歌声を聞くことができないのは残念。これから500年後、千年後に、人々は今の時代の歌をレコード盤だのCDだの、スマホだので聞くことができるわけでしょうか。(CDも今は落ち目で、新車にはCDプレイヤーが付いていないそうですね。みんなスマホで聞くから。)