6月13日(火) 曇り予報
このシリーズ?やっと180にたどり着いた。密かにこれを目指していた。目標を立てないと簡単な日記を書き続けることすらおぼつかない。
時々ため息をつくか、呼吸を整えないと胸にちょっと圧迫感がある。近頃気がついていた機能低下、つまり老化だ。不整脈も出ているようだけど持病の範疇。僕の方で徐々に慣れていけば良い。慣れてきた。
人の目には健康そのものに見えるらしい…先日もプールの仲間から…長生きしそうな体つきと言われた…やせっぽちでも、そう言われれば気分は悪くない。
でも正直言うと…僕の感覚ではこれでもありがたいくらい長生き、生きながらえた分だけ得した気分。で、気になるやり残した事はあるか…やり残すことがあるようにこれから頑張る、、。
後期高齢者に対する家庭訪問というのがあり。困り事の相談をうけてくれるらしい、とポストに入ってた区の通信で知った。前に入っていた高齢者定期検診の郵便物とともに捨てました。
でもたいしたもんだなぁと思います…高齢者を生かそうという姿勢に好感が持てます。その時はよろしく。
夕方まで、「山本周五郎からの手紙」(未来社1984年10月第1刷発行)という周五郎から土岐雄三宛ての通信で成り立っている本を読み進めた。
文章を書くことが好きだった人だったのだ分かる。当たり前ですね作家なんですもの。
書くことが好き。自分が書かなければ他の誰も成し得ない仕事…それは名文を意味しているわけではない。その人にしか書けない文章。これが貴重だと言っている。
つまりは誰でも自分の文章が書けるということで、文章の出来にかかわらずそれはその人だけのもの…そこまで言って良いのだろうか。周五郎は素人相手にそこまでは言っているわけではないだろう。脂ののった作家の職業人としての誇りがそう言わせているので、それを土岐雄三にも通信で採再三伝えている、作家同士の会話。
僕らは除外されている…それは良いとして、それでも僕は思う、誰が書いた文章もその人にとっては貴重だし、たまには他人にとっても良いものにはなり得る、それが慰めですね、大人のおもちゃ。
僕は常日頃、偉そうに人物画はその人の風景だという持論を持っていますが、、文章もその人の風景かもしれないなと思いました。
僕が書いているこのような駄文も僕の風景…そう思うとそれなりの愛着がありそれがために僕の慰めにもなっているのだとわかりました。
(今日は曇りがちだけど雨は大した事なさそうなので下着類を洗濯する…というか今洗濯機を回してきた。さ、起床、地球は回っている、わが父母が生まれる以前から…周五郎は… 千年も経てば今の生活なんて泡沫のようだみたいな言い方をしていました、まぁそりゃそうだ、あはは🤣)
「文は人なり」といいますね。私はこれを中国の古典か何かからの格言だと思っていたのですが、あるときフランス語の教科書にle style c'est l'homme mêmeという言葉を見つけ、それが「文は人なり」と訳されていて、まあ、フランス語からだったの、と驚きました。「文体、それは人そのもの」ということですね。
それについてインターネットで見た解説が面白いので、英語のままでご紹介しておきます。
The phrase is attributed to Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon In his Discourse on Style, he said, "Writing well consists of thinking, feeling and expressing well, of clarity of mind, soul and taste .... The style is the man himself" ("Le style c'est l'homme même").
私としては、clarity of mind, soul and tasteの方はちょっと覚束ないのですが、何かを書こうとすると、 thinking, feeling and expressing のプロセスが必須ですね。それが結構楽しいので、書くことが苦にならないのかもしれません。wellでなくても、暇つぶしでも、誰に憚る必要があるでしょう。