6月4日(日) 曇り時々晴れ予報
昨日はあっという間にお昼になりあっという間に夕方になった。やったことといえば買い出し、体をジムでいつものように動かし、洗濯をし、なすの煮浸しをつくり、安物のウイスキーで水割りをやりながら海鮮丼を食べた、そしたらもう夜だ。本は1ページも読んでない…それが何やかやと雑事に煩わされていた昔を思い出し、面白くない、ま、贅沢な悩み。
大リーグの大谷が5失点で負け投手…これも面白くないけど、あんなハードワーク誰もこなせないことを考えればすごさに傷がつくわけではないと思う。マシンじゃあるまいし、生身の人間、負けることもある(兄が家族LINEで実況放送をしてくれるので逐一試合結果が分かります)。
もう何十年も会っていない昔の知り合いが通信で、介護保険制度の自助、共助、公助について、彼のライフワークを通して貴重なコメントしていた…これは面白かった。
自助、共助、公助について保険制度と税金の使い方についてコメントしていたのです。
あらゆる問題は社会が起こした…と思い切って仮定してみると…その解決は社会つまり世間がなすべき、との結論を得る、ちょっと強引な…これは僕の持論ですが皆さんはどうお思いですか?どうせ水掛け論になりそうなこういう問題は問題を大きく捉えて個人的なものにしない方が良いと個人的には思います。
自助、いいでしょう、共助、のぞましいでしょう、公助はそれでも漏れてくる部分をサポートしていく。これに異論は無いはずなのですが異論を唱える人が足を引っ張る。まずは自助だろうと、、こうして水掛け論が始まる、、と彼は問い掛けていました。
僕にとっては、目からウロコの問いかけでした。
ちょっと話を変えてすいませんが…パーキンソンの法則に仕事は納期に向かって拡大するというのがありました、、
自助、共助、公助の役割分担の考え方をしっかり教養として身に付けていないとたちまちあっちこっちでトラブル。
制度設計を親方日の丸でおんぶにだっこにしていればきちんとしたマスタープランがあったところで与えられた納期いっぱいいっぱいにその運用についての徹底がなし崩しになりシステムは換骨奪胎となりもともとの意味を失う。
しっかりしろ、僕ら。
間違えてもいいから、思いつきでもいいから、それぞれが自分自身で問題を立てていく…そこからしか当事者意識は生まれないと思います
大雨が降って洪水にドキドキさせられた翌日にこれから開かれていくであろう新世界について遺言でもいいから一言でも次世代に残したいところです。それが年寄りの役割じゃないだろうか?
年寄りはベルトコンベヤに乗せられて健康寿命を伸ばし効率的に人生をを全うする、それでいいのか年寄り、一時的にもしろ基本的には終身雇用システムに甘え、バブリー?とは言え社会主義国家の気分を味わったベビーブーマーはそれでも幸せと言うべきか、あはは🤣
終身雇用制度・年功序列が幅を効かせていた時代に、その制度の外で稼がなければならなかった女たちは、私のような自営業がかなりいて組織に属すことはできませんでした。差別されていたことは確かですが、場合によってはその差別を逆手にとることも可能でした。失敗や落後は旧弊な社会のせいにできたことも、いくらか救いになっていたと思います。
さて、今や女性にも男性とほぼ同じ権利が与えられ、活動の場が広がって男女差別を自分の立場の弱さの口実にすることも、少なくとも以前よりはむずかしくなりました。新聞雑誌で女性の経済評論家・政治学研究者、ジャーナリストたちの華々しい活動を目にするたび、日本社会の進歩を喜ぶ気持ちと同時に、そこから漏れている女性たちの失望や無力感を思わずにはいられません。といって、それならば家庭を持ち子供を生むことに自分の存在理由を見出そうという女性も、むしろ減っている。何を目指せばいいのか、若い女性たちも暗中模索なのかもしれません。