5月30(火) 曇りのち晴れ
最近では兄との往来はほとんどありません。すべてLINEが頼りです。兄の身の回りはすべて制度のおかげで整っています、設備、マンパワーともに。あと足りないものは問題が起きたときに兄が周りの人と相談しながらその都度チームで対処していけばいい。
(高齢者が自宅にいながらまわりの人たちの手助けで自立していくためにはおのずと高齢者自身に求められる覚悟が必要でそのための準備は怠りなくしたいものです。特に突発的なリスク管理が不十分であることが多い、と僕自身を含めて、戒めています)
この1年間で構築した家族LINEは直接会って面談する不足を補って余りある…つまりリアルな面談では、感情が先走って届きにくい気持ちを段階的に順を追って小出しに伝えられることだってある。
LINEはまさにホットライン、メンテナンスも忘れずに、あ、つまり日常の挨拶で、何も言うことがなければ元気?と一声かけること、これが大切だと思いました。
日常のさりげない出来事を家族に語るのと同じように他人様にも語っておくことの重要性にも最近気がついています。何気ない声かけの積み重ねに人柄もにじみますし日常性の手触り?も確認できます…スマホで井戸端会議、命綱。
僕は人との関わりを避けているわけではありませんが交渉が限られていても何とか暮らしていけるのはLINEのおかげで世間の動きが少しわかる安心感が大きいです。ニュースで伝えられるのとはまるで意味が違います。良い意味でも悪い意味でも情報の選択も含めてにその人なりの微妙な味付けがあるのは…味なものです😉なんちゃって。
スマホは高齢者の必需品。
スマホのマナー教室…暇なときにウェブの中を探してみよう。なければ作っても面白い。せっかくのお付き合いも失言の一言でオジャンとならないように…。
午前中床下収納庫の中を少し整理し、部屋の中も片付けた。
ギターを処分しようと思って思いとどまりました。フォークギターの弦をクラシックのものに変えて裏板が開いていたものを修理した愛着が少し残っていたからですねきっと。
人に聞かせるわけではない、自分が楽しめればいい…音が聞き取れなくても、つまびくだけで楽しいこともわかったし。
1階にカウンターを作ったら雰囲気が変わるなぁと思いつき、高さを調節できる小さなテーブルを2つ両脇に、その上に今まで使っていた天板を渡したらちょうどいい塩梅に使い勝手が良さそうなものが出来上がりました(写真)。ここで本を読んだり食事をするだけで風景が変わります。
部屋を片付けていると余分なものが出ますのでその余分なものを何かに応用できないかなといつも考えています。
思いついたら即実行が、次のやる気を作ってくれます。
読書に飽きたら、運動を兼ねてDIY。たったこれだけのことで気分一新です。
僕は働いている時、外でランニングする連中を見ていて、、もったいないと思う人間です…あんなに体力が余っているなら体動かす仕事をしたほうがいい…お金にもなるし…ここら辺が…根っからの貧乏性なんだと思います…あはは🤣
「あんなに体力が余っているなら体動かす仕事をしたほうがいい…お金にもなるし…」私は働いていませんが、これはずっと感じていたことです。登山とかトレッキングとかジムとか、そんなに体力があるなら(実際ドイツ人は体格もよく栄養が良すぎる、つまり高カロリー食なので、力が余っている感じ)なぜ庭造りや公共施設の建設、町の清掃・修理などにその力を使わないのか。それどころか、工場などで働くこと自体が「みっともない」「カッコ悪い」ことになっている。思想的にも、懸命に働くことは悪徳資本家を利するだけ、と煽るメディアの影響をもろに受けていますが、基本的に若い元気な人の望みは、他人に「カッコいい」「素敵」と思ってもらうこと。インスタグラムなどで「きらきら人生」を宣伝して、羨ましがってもらうこと。時々、ドイツという国の最盛期は過ぎたのではないかという思いに捉われます。