5月22日(月) やや 曇り予報
昨日の日曜日、ひざ掛け毛布を洗濯ネットに入れて洗って干して、プールでざっと泳いで、帰ってきてから長芋すってとろろそばを流し込みガン病棟の第二部を中ほどまで読み進めたらもう夕方。暑くも寒くもなし、、普段、曜日感覚がないのに昨日ばかりはちょっと気怠い日曜日の感じを楽しめました。
トランペットを少し吹いてみたらおおいかぶさっているような耳の聞こえも少し良くなったような気がしました。
どうしてもお聞きしたい話は母の古い補聴器を使えば何とか聞こえますし、日常生活には何の支障もありません。
昔たしか「バス通り裏」と言う番組があったのを思い出しました。立石の家も今の僕のすみかもまさにそれです。昔の映画館の裏というのも全く同じです。
縁側の掃き出し口を開け放てば、まわりの家で区切られた長四角の空が見えますし、真夏には太陽の軌道が北側に寄るので日差しもたいしたことないだろうと予想がつきます。
1日が太陽の運行と同期するようにするすると過ぎて行く、ありそうでなさそうな最近の僕の生活です。
夜は錦糸卵、ハムやきゅうりを刻んで🥒インスタント冷やし中華を作って食べました、おいしかったでーす。こんなものを作ったのは何年ぶりだろう。
おまけ、「ガン病棟」より
自分自身がガンの予感がする女性医師ドンツォワは恩師でもある老医師オレシチェンコフを忙しい仕事の合間を縫って訪れる。病院でのドンツォワ自身の診察をその老医師に依頼してドンツォワは帰る、、
第二部 30 老医師
137ページ
ドンツォワを見送ってから食堂へ戻ってきた老人は、揺り椅子に腰を下ろした。長年愛用するうちに背凭れの部分は擦り切れて黄色くなり、全体を黒ずんで少し曲がった揺り椅子である。老人は椅子をちょっと揺り動かしたが、その動きが自然に止ると、もう体を動かそうとはしなかった。中途半端で、しかも自由な、揺り椅子独特の姿勢のまま、老人は凍りついたように永いこと動かなかった。
最近、こんなふうに休息することが頻繁になっていたのである。そして連れ合いに先立たれてからというもの、肉体が力の回復を要求するのに負けず劣らず、精神は、外部の物音や、会話や、仕事の予定など、この人をして医者たらしめているもののすべてから離れて、沈黙の底深く沈むことを要求するのだった。内面の状態は、いわば清めることを、透明化を要求していた。そして今、こんなふうに体を動かさず、押し黙って、心に浮かぶもろもろのことを考えるともなく考えていると、心はおのずから清められ、充実してくるのだった。
こんな時存在理由は……永かった過去から短い未来に至る自分自身の存在理由、そして死んだ妻の、若い孫娘の、一般にすべての人間の存在理由というものは、決して仕事の中にあるのではないように思われるのだった。人は明けても暮れても仕事にのみ打ちこみ、仕事にのみ関心を示し、他人は仕事によってその人を判断するものである。だが存在理由はそこにあるのではなく……一人一人の背後に投げかけられた永遠の姿かたちを、どこまでも乱さず、揺らめかせず、歪めずに保存し得たかという点にこそ、あるのではなかろうか。
ちょうど穏やかな池の面(おも)に映った銀色の月のように。
引用以上
(おこがましいけれど…人に対する信頼と真実にも出会えた気がする、もうこれ以上知る必要もない
、、唐突にこんなこと言う意味は…未練、と言って悪ければ思い残しという視点からです。
医師としてのドンツォワは僕から見ればまだ若い。そして老医師オレシチェンコフは僕と同じ75歳、いくらなんでも現役バリバリのドンツォワは脂の乗った医師としておいそれとは突然自分に降りかかった身の上を受け入れられないだろう、、でも、、オレシチェンコフなら、、どう考えるだろうか、と僕は考えこむのでした)
ワォ、自前の高齢者幼稚園❣️ 義姉さん、びすこさんに見てもらってよかったですね、喜んでらっしゃいますとも、寂しさも分かち合えたと…。