5月9日(火) 晴れ、朝寒かった
いつもは朝6時ごろには朝食を済ませ本を読むか太極拳をして10時時から11時になると近くのジムへ行って泳いで体を洗って帰ってくると1時近くなっている。
体が疲れていれば寝坊するし、それほど疲れてなければ夜早くに寝てしまうので夜中の3時ごろ目が覚める。時間のズレはあるもののまぁいう所のルーティングジョブ?は変わらない。
我が陋屋も、精神状態に合わせて隙間だらけになってきたのでさっぱりしたものです。今の状態からさらに3分の1位はさらにものを圧縮(捨てたり、整理する)できるので狭い家でも広く使えることになります。で、どう使う?ありがたいことにそういう家は…自分にくっきりと床に陰影をつけてくれるので糸の切れた凧みたいにフラフラしないで済むのです。使う、というよりは風景を作る。
昨日の午後読んでいた本の中にそれ、つまり、ありかた、過ごし方、風景を醸し出してくれる、、そんな、今の僕の気持ちにしっくりおさまる文章がありましたので引用してみます。この境地に達したということではありませんので念のため…憧れです。
(神谷美恵子著作集 3
こころの旅:みすず書房1982年6月第1刷発行)
152〜153ページ
永遠の時間は自分の生まれる前にもあったように、自分が死んだあとにもあるのだろう。人類が死にたえても、地球がなくなっても、この「宇宙的時間」はつづくのだろう。自分はもともとその「宇宙的時間」に属していたのだ。だからその時間は自分の生きている間も自分の存在を貫き、これに浸透していたのだ。げんに一生のうち、その「永遠の今」を瞬間的にでも味わう恵みを与えられた人もある。
時間を一つの流れにたとえるのは、岸辺にあってもその流れを見ている観察者を想定しなければ成り立たない比喩だ、という意味のことをメルロ=ポンティは言った。たしかにそうだろう。げんみつな意味では人間はその観察者たりえない。人間は流れそのものの一部なのだから。だれかが観察しているとすればそれは「神」か、なんらかの超越者だろう。この「超越者」をペルソナとして考えがちなのは人間らしいことであり、同時に人間の精神の限界を示すものであると思われる。
こういう宇宙的時間の永遠性に対する感覚が生まれてくるに従って「コペルニクス的転回」は深められ、ついには青年期に垣間見られた第二の展開よりはるかに徹底した第三の転回に行き着くのだろう。それに従って、老いつつある人間にも死を越える未来が開けるだろう。すべてはその永遠の時間に合一するための歩みと感じられてくるであろう。そのとき、人間はどれだけのしごとを果たしたか、ということよりも、おかれたところに素直に存在する「ありかた」のほうが重要性を帯びてくるだろう。
引用以上
ただお経のように読んでいるだけなのに安らぐ文章だ。
巻末の著者による読書案内が圧巻です。
早速、紹介されていた2冊の本を図書館にリクエストしてしまいました、ソルジェニーツィンの「ガン病棟」もこの2冊を読み終えたら挑戦したいと思います。
たくさんの人に寄り添ってきた人。ご経歴を拝見すれば全くその通りの人でした。すれ違えたことに感謝です。後ろ姿に最敬礼。
(今朝、5時ごろ目が覚めた。就寝中、まどろみと半覚醒?を何回か繰り返したらそんな時間になっていた。初めての経験です。老化、て言ってしまえばそれまで。システムの変更と思えば新鮮な気持ちになれる。睡眠は充分の感覚があるので気分は悪くない、むしろ上々。
おばあちゃんがほんのちょっとだけ登場した。考えてみれば数えで75歳で亡くなった祖母の死に立ち会ったその日から長いこと死ぬことについて考えてきたような気がする。
必然的に「生」についても考える。同じ母親の子宮と言う容器(容器という言い方は文脈上使ったと思われる神谷恵美子の言葉です)から生まれた兄姉弟でも人格が違うこともちょっと味気ない容器という言葉を使うとストンと納得できるところがある(抵抗のある人ごめんなさい)。
産んだ当人つまり母親との関係においても同じ…人格は別。そもそも生まれ出てきてからの心の経歴が違うのだからその後の経緯によって人格も変わってくることを思えば一考に値すると思う。
一方で…思ってもいなかった「似ている」ことを見出して愕然とすることがある。一例を言えば「割り切り方」。この年まで生きて来なければわからなかった点です。
他人であれば早々と性格の違いと決めつけて思考停止になるところ肉親であるが故に、他人とは違うという思い込み…故の驚きだったのかもしれない)。
神谷美恵子先生。私もすれちがいました。正真正銘の淑女ですね。あまりに完璧な女性なので、フランス文学者であるお兄さんの前田陽一氏が「女性嫌いになりたいのなら、良くできた妹を持つのが一番である」といった話は有名。
お姿を見かけたのは、大学で夏休み中に精神医学の集中講義の講師でいらしたので、単位を取るために出席したとき。ご高説は全然覚えておりませんが、一つ記憶に残っているのは、女性が妊娠したときのナントカホルモンの働きの話で、このホルモンはどうも女性の知能を低下させる働きがあるらしいのです。妊娠した女はその前後に比べると頭の働きが鈍くなるようだ、なんて、今のウーマンリブが聞いたら柳眉を逆立てそうなことを。でも、後に私の友人が妊娠した時、「頭が悪くなるって、それは母親の防御反応だと思うよ、ピリピリシャープだと赤ちゃんが可哀想」と言っていました。
人がやがて永遠の世界に入って行こうとするときには、「おかれたところに素直に存在する『ありかた』のほうが重要性を帯びてくる。」これは大いなる慰めです。