4月29(土) やや曇り予報
朝食をお茶漬けさらさらで済まし、銭湯に関する本を読んでいたらあっという間にお昼、お腹も空かないし2階の縁側で寝転ぶかなぁと思ったところで、机の横のチャイムのランプが点滅した。2階から顔を出すと、Qさん、ふらっと立ち寄ってくれた。
お互い縁側にじかに座ってお話をした。何気ないこんな姿勢が何十年ぶり!
旧式の補聴器を耳に入れて調節しながら何とかお話を聞き取る。
最新のスマホ事情をお聞きする。
最新のAIを駆使したシステムを使うとかなりのところまで情報が得られることがわかった。使い勝手を急速に使い手に合わせてきている最近のシステムは、親身な受け答えで「あなたはどう思うか」というオープンクエスチョンまで絶妙なタイミングで入れてくるらしい。
情報はサクサクとビックデータとして処理されている。ひねた見方をすれば監視に見えない監視。Qさんは多分それを「既得権」と表現したんだと思う、そうはおっしゃっていなかったけれど…ここんところあくまで私見)。
Qさんのお話を聞きながら…レイ・ブラッドベリの火星年代記を想像してしまう、環境が人間を作り替える。
説得するというステップをスルーして使い勝手を使い手に聞く、その繰り返しによって相手そのものが本質を変化させる、相手合わせの基本設計が今の世の中にぴったりはまっている、と思いました。つまり気がついてみたらいつの間にか世の中がすっかり変わっていたという世の中の変わり方、システムはブラックボックスではない。使い手であるマス(Mass)そのものの意志、と仮定してみると、積極的にAIを拒否する理由が見つからない、目指しているのは「便利さ」なのだから。便利さそのものに良いも悪いもない…便利なものは便利(この辺の論理の飛躍ご勘弁)。
人間がAIに体(たい)を預けていく時代。
感情が裸にされていく。裸にできなければノイズとして取り残す。直しても直らないバグはそのまま模様として残す。今のテクノロジーはそこまで。あえて結論は出さない。問答を通じて答えを浮き上がらせる、相手合わせをしている。
人間模様という言葉がある。
AIから見れば不細工で不完全で不統一でばらつきが甚だしい人間が寄り集まって世間を作っている。それぞれの世間はそれぞれの世間の決まりがある。その決まりは違う世間からから見ればバグに見える。
AIの世界も、また世間の一種と見ると妥協点を見いだせるような気もしてきた。AIは宗教に似ている…と強引に言ってみる。バグを認めない宗教。無神論者もまたその一派。
今日の結論…感情が人を作っている。全てを疑っているのが感情でないわけがない、あはは🤣
(一昨日後頭部で束ねた髪を伸びすぎた分適当にハサミで✂️チョッキンしたら切りすぎてしまってまとまらなくなってしまった…トホホ…良い経験をした、髪の毛がまた伸びるまで待てば良い、背は伸びないけれど髪の毛はまた伸びる)
見慣れない人・モノに警戒するのは、田舎者の特性でしょうか。あるいは遅れた人の性癖?アメリカ人が日本人をジャップと呼び、日本人が欧米人を毛唐と呼んだのも、一昔前の人間の未開性の証拠。異質のものに対処する術を心得るまでには時間がかかりますね。AIについては、その使い方に慣れるまでに私の命の方が無くなると思うので、あまり積極的に対応して行こうとは考えずにいます。
もうちょっと身近な話でいうと電気自動車EV。最近EVの運輸船で火災が発生し、バッテリーのせいで消火活動ができなくて、EVの負の側面を初めて認識した人が多かったそうです。欧州では2035年からは化石燃料を使った自動車は禁止され全部EVとなるそうですが、12年後は夫も95歳、EVでもガソリン車でも関係ねえや、ってところ。