4月28(金) 晴れ
基本的に30代前半までの経験(様々な職業遍歴)で65歳まで生きたような気がする。つい最近まで知り合いに半分死んでますと冗談めかして言ってきたのは主に自分に言い聞かせていたんだと気が付きました(65歳時点の老後計画はありましたが…通用したかどうかはわからないし今思えば、、甘かった)。
65歳つまり今から10年前に自分の経験は賞味期限が過ぎているとは感じていました。若い頃の経験を、今の若い人たちに話してもあまり役に立たないということです。
10歳ほど若い友人に10年前に言われたことを思い出しました。いちまるさん達の世代はいちまるさんたちの世代で生きていってください、、。
ずっと気になっていました。昨日またこのことを思い出し…そうだそうしようと思いました。
友人の言葉を言い換えるなら自立して生きていってくれという意味に取れます。
きっちり年金を受け取れる逃げ切り世代とも言われました。組合もしっかり機能して高度成長の恩恵を味わった世代の僕ら。近所のジムへ行けばワンサカその世代に会える。
ほんの2世代つまり1世代10年と仮定すると20年後輩の人たちの人生はどうなるんだろうかとふと考える。
今は70歳以上でも働いている人がたくさんいるのでそうではなくなったが、その人たちも昔で言えば既に定年を迎える年齢、つまり
昭和初期55歳定年だったことを思えば、現役引退がぐんと伸びていることがわかる。20歳後輩たちはハッピーリタイヤメントとは簡単にいかないのだ。
僕らの世代より頭も体も「正常」に保たなければいけない期間が多い。おいそれとは引退できない世代。
幸田露伴が小説「五重塔」を描いたのは確か26歳だと記憶しています。小説を読めば26歳で既に老成していたことは明らかです。人生100年時代にわずか26歳で老成していてはお先走りにもほどがある。今ではそんなに早く大人になっては間が持てないしそんな間の抜けた時代ではないので簡単に世渡り上手の大人にはなれない。
26歳で老成はとはいかない時代、生涯100年時代の後の4分の3をどう生きるか
僕らができる事は…ベビーブーマーなりに、きっちり生き抜いてみせることだと思いました。そして少しでも次の世代にエールを送りたい、ねえ、ご同輩😉
こう考えれば僕らが連中に率先垂範できる事は「健康」(機能をサポートするシステムを使ってでも)に生き延びてその生き方の「多様性」を示せれば「連中」だけでなく「人類に」いくらかでも参考資料を与えたことにはならないでしょうか
ご意見をお聞かせくださいといってもこのブログの読者が少ないので…後は自分で考えることにいたします…あはは🤣
今ではそんなに早く大人になっては間が持てない。これは私がこのところ考えていたことです。20歳かそこらで父親になって家族を背負って暮らして、疲れ果てて40歳でもう老人となり、50歳であの世へ。短命だったから、何をするにも急がねばならない人生だったのですね。
人生90年が当たり前になれば、少なくとも45~50年は現役で働くべきではないか、と思うようになりました。仮にちょっとぐずぐずして25歳から社会人になったとして、70までは今の人なら働けるはず。一日8時間労働で週5日で、労働の負荷も昔よりはずっと軽くなっていて、昔の40代よりも体力はあるんじゃないでしょうか。(人間関係のストレスは今の方が大きいという声もありますが、これは人の力で改善できるし、また昔は全てを「諦め」で対処していたから、その辛さは今より大きかった、それで命を縮めた分もきっとあったことでしょう。)