4月18日(火)やや曇り予報
昨日、午後四つ木駅で待ち合わせ昔の友人でもありお客でもあったQさんと、四つ木御殿で少し話し込んだ。
終いの住処をどこにするかという点についてだ。
Qさんの結論から言えばたとえ1人で住んでいても長く住んでいる我が家が一番、我が兄と同じ意見。
嫌な思い出も含めて泣いたり笑ったり喧嘩したりした我が家がいい。
新しい場所がどんなに便利なところでも長く暮らした今の住処の思い出の量と質が比べものにならない、、他人から見れば過酷な介護の日々(Qさんは一言たりともそのような発言はしていらっしゃいませんが)も既に懐かしさに変わっているとおっしゃるQさん。愛着を大事にしたい、、か。
僕なりに解釈すれば…愛する人たちがそこにいた…から、離れたくない、故郷になってしまった。
それを確認するために…僕にそれを言いに来た。コンサルタント料まで、お礼として置いていかれた。僕は何をコンサルしたんだろう?きっと僕の言外の表情を読み取っていかれたのだと思う(扁桃核(情動反応を司る)同士の会話?)
途中まで見送り別れた。すっきりしたお顔をされていたのが何よりの救い。僕が伝えた事はたった一言…今、土地を売ってはダメ(国から預かっている土地という言い方もできるが、、土地を育てた?のはそこに住んだ人(の行為の記憶)、よく考えて言った言葉ではないです…思わず口をついて出た、まるで断を下すように、、何の権利があって?
そもそもスペキュレーション(投機)のチャンスを度外視している!そっちが出せるベストプライスを出せよ、そしたらこっちで考える…の基本はどうした?!)
人間的な結論というしかない。今生:こんじょうでの暮らしの決着?をつけた、僕のではないQさんの)
(昨日の午前中シンフォニーヒルズのギャラリーでの葛飾のゆかりある方たちの美術展を見た。久しぶりにそれぞれの方達の作品の空気感みたいなものに触れて心が和んだ。表現したいものを表現する心。
ところで、じゃあ僕は絵を描いて一体何を求める?
自分が何を考えているか、ふっと木炭や絵の具の加減に現れてくれるのではないかというドキドキ感…でしょうか、まだ絵の具も溶いていないのに、よく言うよ、あはは🤣)
Home Sweet Homeですね。英国人にとってわが家は城って言いますけど、日本人にとっても同じ。粗末な家を意味する日本語の「苫屋」とか「賤が家」という言葉も好きです。