2月 9日(木)快晴予報
ほぼ毎日近距離で顔を合わせる地域猫がいる。地域猫らしからぬ面構え、明眸、をしている。僕としては…お知り合い、位な…つまり軽く会釈する程度の付き合いに止めたい。ここ、つまり、作業場改イモヅルハウス(Iハウス=アイハウス)の近くの住人との付き合いと同じだ。それ以上の興味は全くない。
前の住人の方が猫嫌いだった事は家の周りの猫の通り道が塞がれていたことだけでもわかる、まあ、いわば厳重なとげとげマットの警戒網、裏の一部を除いて全て取り去りました。裏の一部はもしかしたら他の方が仕掛けたマットかもしれないからです。
あ、…猫との付き合いについて語ります。深い付き合いではないのですが猫から学ぶ事は多いです。特に野良猫、地域猫の独立独歩ふう。態度に油断がない事はもちろん、世話になってるくせに食料供給者との距離感が好ましい。学んでいます。
おまけ、、
夕顔の花噛む猫やよそ心(蕪村)
(俳句引用は岩波文庫俳諧大要150ページより)
無聊をかこつでもなくそばにあった花を噛んでいる猫のよそ心、、蕪村、、暇人、、にして、畏怖すべき表現者、猫の表情まで浮かんで来ませんか?
(イモヅルハウスの前の住人の方の家の記憶を留めるために立派な吊り戸棚を壊したときに出た材木はほとんど捨てずに何らかの形で使いました、食器棚、本箱代わりに本をずらっと乗せる3メートル近い台、洗濯機の給排水パイプの固定用の桟などに使いました。古い家には古い材木がよく似合います、古い人間もまた)
古い家には古い材木がよく似合う・・・で思い出したのですが、聖書マタイ伝に「古い革袋に新しい酒を入れる」という諺があります。これは
《新約聖書「マタイによる福音書」第9章から》新しい内容を古い形式に盛り込む。多く内容も形式もともに生きないことにいう。(小学館デジタル大辞泉より)
だそうですので、いちまるさんがなさった事で、内容も形式もともに生きるようになったわけですね。
猫が好きな俳人って結構いるみたいです。有名なのは久保より江で、彼女は子規や虚子と同じ松山の生まれですが、配偶者の久保博士が確か九州大学で教えていたため福岡で活躍した人です。子供はなく、でも夫婦そろって句作を楽しみ、仲睦まじかったとか。夫に先立たれて数年後に享年58歳で亡くなっています。
代表作には
・猫に来る賀状やねこのくすしより
・旅に得し消息のはし猫初産
・猫の子の名なしがさきにもらわれし
など。
私もちょっと作ってみたことがあります。
・猫の主決まると慎ましき福音 びすこ
(たまたま上記の聖書・福音書の話につながるような。)