2月 5日(土)快晴予報
夜明けを待つ間正岡子規の俳諧大要を眺めていたら…野球のルールを思い出した。句作にはルールがあって楽しみ方もある…これを言わないことには俳句宗家はなれない、なんてケチなことを子規が考えたわけではないだろう。画才に
恵まれた人が傑作を物するように、俳句を文学にするために縦横無尽に先人の句を批評し、その上で新しい俳句の世界を作り上げようと呼びかけているように思いました。俳句と絵画の大きな違い、万という作句の末に見えてくるものがあるというようなことを言っている(絵画はそうはいかない、とは子規は言っていませんが…)と僕は解釈しました、言霊の国の文学者のこの語りは励みになる。言霊に寄るべし、、後半もこう言っているかどうか、、後日。(念のために申し上げておきますが…適当なこと言っています、僕の本の読み方は…自分の実になるように読む)。
(今日は人と会うのでヒゲを剃り上っ張りを変えます。普段はポケットがいっぱいあるうわっぱりを重宝にしています。ちょっとした仕事をするときはそれを脱ぎ、大きめの古シャツなどを作業着として羽織り汚れても良いを服装に整えます。膝をつくような仕事の時はズボンも変えます、寒いのでこんな安直な方法で場面に合わせています。尻軽になれます。今日はこれから昨日買っておいたお弁当を食べ…皆さんが来る前に一仕事済ませようかと思っています、旧宅の天井が惨めな状態になっていますので…黄色の塗料が余っていますので青と赤を加え茶色にして二階の一部屋模様替えの準備をします)
あ、おまけ、、
気持ちをば映せと作句手をあぶる
慰みに俳句で遊ぶ冬小部屋
座り良き器に造花冬と居て
暇潰しよきかな俳句冬の明け
閑居して遊べや句作冬ごもり
春ですと春告げられてビルの風 春よ来い春が来たのに冬仕様 春の声しもやけの足とんと踏む 冬くぐる蕪に陽が射せ路地の奥 税金の申告寒風ときは春 春だとさどこに春ある春寒し 襟立てて手袋マスク春迎え 春くればおでん湯豆腐店じまい 待っていた名ばかりの春春は春 歳時記の春手がかりに春探し 春ですと春告げられて腹立たし と言うわけで、春を教えていただいたのがびすこさんで良かったなぁと思ったわけです、俳句が世界語であるために(何も世界語である必要は無いにしても)季節感の乖離いかんともし難し、あはは😅
自由俳句で575に拘らないとか、無季語の俳句などもありますが、たまにはいいけれどやはり俳句でも短歌でも決まり事があった方が型が整ってピシッとするように思います。
そうそう、俳句らしきものを始めた頃、勝手が分からずいろいろ見ていると、誰か専門家が千とか二千とか沢山作っているとその中にいくつかまともなものも出て来るから数をこなしてみなさい、と書いていて、それもそうだ、と下手でもチンケでも書き留めるようにしています。
私も「慰みに俳句と遊ぶ冬小部屋」という所。昨日から「春」の句になりましたね。