(1日に2度アップした日があるらしく日にちがずれて先行してしまいました(昨日今日の分を書いたことになっています)ので、調整のため今日は日付はありません、自分でもよく分かりませんがめんどくさいので直しません)
表札を取り上げたいと思います。写真でご覧のように一時流行った、空欄にマジックで氏名を記入すればできあがる市販品が懐かしくてそのまま残すことにしました。
この家の歴史をあちこちに残しておいたほうが面白い。僕はこの家に少しの間、間借りをしている気分、それでいい、それがいい。並べた瓦との相性もこれでいい。古い家を新しく見せる必要はない。
さてとそれでは家はそれで良いとして人間のほうをどうするか。つまりどんなふうに立って座って歩きまわるか…好きにすれば…というわけには参りません。どうも職人さんらしい…手を見ればわかる。問題はどういう職人だったかだ。職人が手すさびで絵を描き、見よう見真似で俳句なども投稿しているらしい、時々ほらじゃなくてラッパを吹いている…と言って豆腐屋でないことは明らかだ。楽隠居で悠々自適と言うほどの金はないだろうし、落語に出てくる隠居さんほど能書きを垂れる教養もないだろう、終の棲家で、余生を静かに暮らしている…基本的なムードは…借りてきた猫みたいな佇まいで、当分いようか、、すいませんまだ生きてますみたいな感じで控えめに行こうか…やる事はいっぱいあるんだけど急いてはことを仕損じる、慌ててその気分を作る必要はない、引き延ばす理由なんてごまんとあるけどその辺のところは解決をつけずにまだその気分にならないみたいな雰囲気を持続しようか…出そうで出ないよお葬式?ま、ゆっくり考えて、ゆっくり死ねば?ここの「置き忘れられた家」の雰囲気にちょっと合っているかなと思います、そもそもご近所で噂を立てられる気遣いはない、みんな声をひそめるようにして暮らしている、多分お付き合いもほとんどないだろう、それがここを選びここに住まう一番の目的です、あー、今日は全部口からでまかせです)
(米びつ…といっても8リットルの蓋付きのバケツですけど… 一合ちょっとぐらいしかお米が残っていなかったので、ちょうどいい分量なので七草粥っぽく大根の葉っぱ、かぶの葉っぱを入れてお粥を作って食べました。お粥、おいしい♪
で、一合ちょっとの分量はお粥にすると結構な分量です、それで思い出したのですが…
宮沢賢治が1日に玄米4合を食べ、と雨ニモマケズで歌ったその飯の量の多さに今更ながら驚きます…農作業の過酷さを物語る…それをさりげなく言うところが賢治らしいですね、実践の人がたった1つの数字に込める思い、、丹精込めた農作物が一夜の風雨で全滅することもある、だから4合の飯をしっかり食って…そして、、だから…だから、雨ニモ負ケズなんだ、、、こんなこと今頃わかる迂闊な僕です😔)
おっしゃるように昨日のブログが1月7日になっていたので、あれれと思いました。時差を考えても、まだ7日になっていない時刻でしたので。まあ、年月日の多少の違いはどうでもいいんですけど。
時差で思い出して、こちら同じ欧州にいる日本人の間でのメールのやり取りについて
・メール賀状同じ他郷で時差なしで
なんて一句作って独りで遊びました。
郵便番号が124になっていますね。それで随分古いものと分かります。たった3桁。今は全国7桁ですもんね。同じように、昔は電話番号も短かった。人間が増えて世の中ややこしくなって、何でもえらく長く複雑になってしまって、単純な時代に生まれ育った人間はそろそろお暇乞いするときに差し掛かっているかもしれません。
宮沢賢治の詩、私もどうしてこんなに大量のお米を食べる必要があるのかしらと思いました。お菜があんまりなくて、梅干しや漬物でご飯をたくさん食べていたのですね。動物性たんぱく質が足りないから血管が弱く、一方で塩分の摂取が多いから、脳梗塞などの病気が日本人には非常に多かった。
少し前にこちらで脳血管疾患・心臓病・癌の三大病による死亡率に関しての主要国の推移グラフが出ていて、日本人の場合70年代から急速に脳血管系の死亡率が減っているのは、この頃に肉を多く食べるようになったからとの解説がありました。