11月18日(金)晴れ
代車で運ぶものは大体片付けた。A地点からB地点に移動しただけのことですけど。父によると掃除とはゴミをこっちからあっちへ移すこと。僕のやっていることだって多分他人にとってはゴミの移動だ。人間は死ねばゴミになる…という本もあったっけ。母が掃除していると幼い僕は「僕も片付いちゃうね」とか何とか言いながら掃除の邪魔をしないように脇に避けていたそうですから当時からとても気配りの利く子供だったことがわかります…えっへん。
ここで、今また変な連想が働いて…面白いことに気がつく。若い頃酔っ払って手相見に引っかかって言いたいこと言わせておいたら…一生食うには困らない、と御託宣、、おそらく僕の要領の良さを見たのだろうと思う。最初の会社にいた時手相見をする女性がいてわざわざ彼女の職場へ行ってみてもらった…というか同じ職場にいた先輩に連れていかれたと言った方が当たっている。しばらく手相を見ていたその方が…いいにくそうに…生命線には40までと出ています…付き添ってくれた先輩が悲しそうな顔をしていたのがおかしかった、慰めようがない…(どっちを?)。
黒岩重吾も一時手相に凝っていてあまりにぴたぴたあたるので評判になったが手相を見た後どっと疲れるのでやめたと書いてあった。あ、何を書こうと思ったんだっけ…
どうせ旧宅もすぐには使ってくれる人が出てくるわけもなし、歩いてもわけない距離なので、当分というか2年間ぐらい気分転換に両方使うことにした…というかそれしか選択肢がない(その間に使ってくれる人が見つかれば別、相手待ち)ので、スポーツジム、図書館、あと、あばら家の間を行ったり来たり、、が多分ここ2年間位の生活になる。
家具を移動したおかげで家具の置いてあった場所だけが青い畳目のまま。他の場所の褪色はそのまま旧宅の歴史。
旧宅に付加価値をつけるのは僕ではない…使ってくれる人だ…僕は新宅で、やっと、、次の仕事に就く。仕事ったって、仕事なんだか遊びなんだか。
昨日ちょっとだけ周りを見渡すと…ご挨拶だけでもしておいた方が良いところが数軒あることに気がついた。セブンイレブンで焼き海苔でも買って配ろうかと思う。映像で言えば…フェイドアウトならぬフェイドイン…徐々にデビューしたいところですが…OKさんに(下町の)挨拶は早めが良いと言われたので実行します、向こう3軒両隣。
2014年に母が亡くなってから2024年でちょうど10年。こんな人生になるとは思ってもいなかった…幸せと言うべきだろう、そう言わなければ失礼になる…誰に対して?
台車で運ぶ最後の仕事済ませ(といっても1往復だけですけど)、お腹がすいたのでマルちゃんの新しく出たアオサ天ぷら入り緑のうどん(添付の粉末の出汁は半分だけ使いました…お汁が僕にとっては濃すぎるからです)おいしくいただきました。
大通りを台車押しつつ、道路拡幅予定地でセットバックした地域を通り、看板を見ていくとセットバックした(後退した)ところに小児科内科歯医者整形外科…と軒並みお医者さんが並んでいる。櫛の歯が抜けたように建物が撤去された跡地にに建設予定地の看板が立っている。残った建物の方たちの整理がつくまでまだまだ時間がかかりそうです。一説に一柱10年一橋30年、、つまり電柱一本建てるために関係者を説得するのに10年、橋をひとつかけるのに30年かかるという役所伝説です、その間に担当者は次々と代わって気がついてみればいつの間にか橋がかかっていた、明治以来150年になんなんとするお役人の積み重ねてきたノウハウです。振り返って地域の構成員である僕たちのノウハウはどんなもんでしょうか?)
デモひとつするにも届け出でが必要というのは良しとして参加するにもいちいち一大決心がいる僕らのありよう。そもそも僕自身デモに参加したことが数えるほどしかない。というかほとんどない。だから僕は(ここでいつものように論理の飛躍)「表現者」はどんな人も大歓迎です、いなければ僕がなってやる…というわけで、暇つぶしに書く小説でも、書く前にめんどくさくなったり、途中で、やんなっちゃってほっぽり出さないように屁理屈をつけて気持ちを盛り上げてゆく必要はあるわけです…あはは🤣)
あ、母のことですか…母は覚悟の良い人でしたがそれでも1度も死んだことがないのでそれを不安がっていると僕は勝手に想像し…お母さん人間は1度しか死なないないんだよ、僕もどういうものかわからないけれどわかっている人は誰もいないから…(もちろん) 僕もわからないけれど(流れに任せたら…)、、1回しか死なないから大丈夫、と適当なこと言ってごまかしたことを思い出しました。自分で言ったくせしてなんですが自分が言ったことを今自分に言い聞かせてます、あはは🤣 それにしても僕が書いたブログにびすこさんが反応してくださってそれを母に伝えられたことがとても嬉しいですよ、その節はありがとうございました、あれからずいぶん長い時が流れましたね😌
人間は死ねばゴミになる、というのは極端に聞こえますが、死ねばもう人でないことは確かです。
私の母は脳内出血で倒れた後、しばらくリハビリのプログラムにある病院にいましたが、そこは半年が限度と言われ、妹と相談して彼女が住む横浜に近い病院を探し、相模原の病院が受け入れてくれることになりました。8月末のことで、航空会社に頼んで病人を運んでもらったとき、母は相当衰弱していたので、こんな状態でも移動させねばならないという日本の医療の非情さにやり切れない思いでした。しかし日本の医療は母のためにだけあるわけではないし、高知では後の多くの人が入院を待っているからと諦めて母を移しました。
果たして一か月後に母は亡くなり、その遺骸は貨物として高知に戻されました。こんなに早く逝くと知っていたら、何も病院を変える必要はなかったのに、という悔しさを妹と私は幾度苦く飲み込んだことでしょう。
遺骸が「物」であることは、以前に米軍で輸送機の会議の通訳をしたとき知って、それもショックでした。戦地に送る際には兵士たちは乗客として運ばれる。戦死した人間は物として貨物輸送機で帰って来る。荘厳な葬式を国に出してもらって、それが何になる。
・逝きし母貨物となりて帰る秋 びすこ
なんだかブラックユーモアみたいですけど。それにしても、美代子母さんの晩年のなんとお幸せだったことでしょう。