感情は行動の起爆剤……そういう意味の言い方をしている本を見た(認知科学選書21:戸田正直著(補稿:高田洋一郎):東京大学出版会1992年5月初版)
行動の原初に感情があってそこから発展して経験を積み重ねていく、、仮説(チラ見しただけなので想像です)。
感情…すぐ反応するだけに取り扱い注意。全く厄介なもので…これに振り回されている人が多いし僕自身もそうだ。ちょっとしたことでこの世が自分自身のものになったような気がすることもあるし…ちょっとしたことで傷つくこともある。
若い頃からそれが負担でいかにしたら感情を処理してさっさと資料棚にしまえるか考えていたような気がする。(例えば気に入らない奴が出てきた時…あいつとの付き合いは5%にしよう…村八分が八分付き合わない、二分:20%付き合うということだから不倶戴天の敵に近いレベル😜)
昨日から「経験不足」とラベルを貼った棚:ファイルを作った、もちろん頭の中にです。そこをそう突っ込んで来なくても良いところを突っ込んでくる人がいる。1時的な感情処理のためだ。そんなことに関わっている時間がおしい。失礼ながらさっさと、経験不足…というレッテルを貼ってしまえばそのように対応できるし、感情をあらだてなくて済む。逆の立場で向こうにもそういう棚:ファイルがあればいいなぁとは思いますがそれは期待薄。
そうやっていても棚:ファイルの容量がキャパシティーいっぱいになれば、ファイルの中の感情が放出される、空中にではなく人に向かって…感情の爆発だ、、今度はヒューズが必要になる、あはは🤣
(※認知症になっても感情だけは残る…原初に関わっていると思えばなんとなく納得できました)
人間がどんどんこんなふうにして合理化を進める行為そのものが社会をさらにシステム化していくことになるのだろうと思いました。社会の構造そのものと人間自身の内部の変革がシンクロしていると思うと…感情処理の誤りが決定的な誤りになることもあり、だからといって感情を機械的に処理していくことをとどめることにも抵抗がある、つまりは必要悪、と認めてしまっている自分がいる。
感情について小学生から学ぶ必要があると思いました。僕がこんな歳になってそんなことを考えるのは明らかに遅すぎるということですよね…ハハハ。
我が姉は…かわいいおばあさんになりたいと言ってました。達成するために何が必要か僕にはさっぱり解りませんが、そう願う心情に嘘はないとは思います。 侮辱的な発言に発奮して建築士になった若い友人がいました、颯爽と部下の人を連れて現れたときには快哉を叫びたい気持ちでした。 僕は発奮材料を年がら年中探しているようなやつですので起爆装置がいらない代わりにまめに果実を回収する…いわば小商人、あはは、分相応です♪
感情は行動の起爆剤・・・ですか。うーん、当っていなくもない。というのは、生来ものすごく怠け者で面倒がり屋の私が何か行動を起こすときは、たいてい怒りや腹立ち、「このままにはしておくものか」という感情に急き立てられることが多いのです。
天邪鬼の行動ばかりして迷惑をかけている男性が身近にいて、あるとき「どうしてそんなことをするの」と訊くと(私との関係は悪くなかったので)、「憎まれて嫌われて敵視されて、それに対する怒りをバネにしたいんです」というので、相手がかなり年下だったこともあり「あらまあ。だけどそれもほどほどにした方がいいわよ」と忠告したことがあります。
私の方は、そのほどほどでしたから成果もほどほど、でも時には激することも必要だと経験に学びました。というより、感情のコントロールが苦手なのですね。この年でも変わりません。穏やかなお年寄りになりたかったんですけどねえ・・・