人を殺すとはどういうことか:美達大和著:新潮文庫2011年11月発行
と言う物騒なタイトルの本を読みながら、いろいろなことが胸に去来します。いい年をして…戦争で人がなくなる事と日常生活の殺人事件とどう違うのか全く分からなくなりました(国家同士の戦争、つまり教団を国家になぞらえ、国家間なら人殺しも許されるという論理は松本智津夫のものであり信者に注入された考えでした。国同士の争いに国民は人質、人質の立場はどうなる)。
むかし映画シナリオで読んだ「グッドボーイ」…巧妙に人に対し罠を仕掛けて、しゃあしゃあとしていられる少年を取り上げた話だったと思う。この本に出てくる受刑者たちも、今度娑婆に出たらもう少し(犯罪を)首尾よくやろうとするような、いっかな反省のない輩がたくさん出てきます。読んでいて、所々、長いため息をつき、胸苦しくなります。本の中にハンナ・アーレントの名が出てきたので彼女の「暴力」についての著作が気になり図書館にリクエストしました。暴力…目に見えない暴力も含め…厄介ですがこの機会に少しまとめて勉強しておきたいと思いました。吉村昭の「仮釈放」という作品もメモしました。
(昨日いつも行っている浅いプールで前転と後転を繰り返していたら、何かの拍子に額をプールの底にぶつけて傷をつけてしまいました。今もヒリヒリしています。痛い目にあうと自分の歳を考えるようになり大変勉強になります)。
見えない暴力見えない貧困見えない孤立見えない人の頭の中…とても気になりますね、座敷楼の中は今のところ安全ですが、座敷楼ゆえに頭の中は堂々巡り。
当時の自分の生き方を全うするため(どういう理屈?)に殺人を犯したこの本の著者は獄中で自分の父親、被害者、遺族を毎日想い、贖罪、周りの苦悩と自分のレゾンデートル(存在理由)に苦しみつつ、自分の考え違いや理解の浅さについて考え続け、自己の主観ではなく普遍的な倫理を基準として判断していくこと、何が正しいのかどうすべきなのか、生きて、獄死する、と言っています(きちんと本人の意を表現してない恐れがありますのでこれまた直接本に当たって下さいませ)
(追伸…いわゆる暗いテーマの本が続いてしまいますがこのコーナーの読者が少ないことを良いことに取り上げてしまいます。日々の思いを綴るつもりの「…マド」ですが…疑問が疑問を呼び、それとともになにもわかっていない自分が浮かび上がってきて…気分のままに関連する本を取り上げているところもありますので…適当に取捨選択、読み飛ばし、スルーしてくださいませ、よろしくお願いします🥺)
戦争の休戦中に兵士同士が現実に会って、つかの間のエールの交歓があり、美談として残っているというのも聞いた覚えがあります。人生はゲームで騙し合いと男女間のあれこれを語る人がいました。あ、そう言われてみると確かにそういうところもあるかもしれないと少し思った僕自身を思い出しました。我が身を振り返らずらず、強引な主張を繰り返す連中は…我が身だったかもしれないです。
折も折、今日ぎょっとするニュースを目にしました。新聞に載っている写真、病院らしきところで、だいぶ重症に見える兵士の手当をしているんですけど・・・見出しに「捕えられたウクライナ兵士と交換するために、ロシア人捕虜を治療」とありました。うーん、何とも言えない気持ち。これが戦争というものか。
ずっと昔、ベトナム戦争の頃でしたが、新聞にクリスマス停戦という言葉が出ていて、私の母が「戦争して殺し合っているのに、今はクリスマスだからちょっと中止、っていうの?そのあとで、さあまた殺そうっていうの?変ねえ」と言ったんです。うちの母は無知・無教養が衣を着て歩いているみたいな人だったのですが、それだけに人間の本能みたいなところでズバリ本質を突くのだな、と驚きました。
殺したり救助したりという行為に、条件や期限が付く。本当に「変ねえ」なんだけど、誰もそれを口にしないのがもっと変。