最近やっと自分が少し見えてきました…多分人生の先が見えたからだと思います。2 、3日前から長年の競歩スタイルを止めてじいさんらしくゆっくり歩くことにしました。たまに立ち止まったりして…もう全く風景が違います。自転車に乗っているのと歩くのと違う位違います。なぜゆっくり歩こうかと思ったそのわけは…2年ほど前から不労所得が少しばかり入るようになり気持ちに余裕ができたせいだと思います。先を急ぐ必要がない。と言ったって…国民年金だけだったのが厚生年金部分がついた位の総額なんですけど。でもそれは棚からぼたもちみたいなもので、だからこそありがたいのです。なんたってとっくのとうに減価償却済のやや情けない家を借りていただいて、お金を巻き上げるという僕には全然似合わない大家まがいのことをしているのです😕無駄遣いなどもってのほか、工面して払ってくださる人の気持ちになってみろ、、はい!
ここはひとつ身を慎んでニコニコ笑って周りの人の気分を害さないように暮らさないといけません。昨日ちょっと鏡を見てニコニコの練習をしたのですが…やめました。今更身に付くわけがないのです、禿げててエラの張った僕自身の顔に僕が慣れて、自分自身をごまかす方がよっぽど早いと思いました。普通にしてても怒ったような顔がそれで少し修正されるような気がいたします。
スポーツジムにアデランスの特売みたいな広告があったので試しに1つ購入しようと思いましたが…これもやめました。そもそもその動機が…アデランスをかぶったり外したりして帽子のように使ったらちょっと気分が上向くかなと思っただけです。そう考えてるうちに2 、3日で飽きてしまいました。昔、経理マンをやっていたせいで「機会原価」(もう一方の選択肢を取った場合の利益)は飽きた時点で最大になります。2、3回楽しんだらゴミになるのは明らかですものね。昔、相棒にぼくは爪に火をともすように暮らしていると言われました、納得しました。子供の頃からなんとしても欲しいものなんか…なかったような気がします。とても大人びた子供だったと思います。親戚からものを買ってもらってありがたいと思ったことはあまりありません。自分が欲しかったものではないからです。いまだにこの傾向は少しも変わりがなくて、つまり、子供の頃の考え方にあまり変化が見られない、その意味の成長がないところを見ると子供のままという言い方もできて、自家撞着、つまり僕は大人なのか子供なのか?
そんなことどうでもよくなって、少し余裕ができて歩くのが遅くなったのだと思いました。こういう文章を読まされてタイムイズマネー、損した気分になった方ごめんなさい、つい書いてしまいました、多分何か発言している方が気が休まるからだと思います🤓🤪
あはっ?!さようでしたか、うれしいなぁ、、相手がいろいろ忖度してくれて気を遣ってくれているんですけど全くとんちんかんな気の使い方なのでずっと迷惑していました、僕が気を使うようになってしまったのは、相手のその気遣いのせいだと思っています、相手の気分を探っては、気の使いすぎ…疲れます。だから気分的には人目を避けていたのに、飄々として楽しい人、つまりは外交的な人と見られる…仮面だっつうの、あはは🤣
子供の頃から欲しい物なんかなかった点は、私めも同じでございます。行きたい旅行なんていうのもなかったなあ。ただ、母方の従姉妹が当時はかなりリッチな家の娘で、華やかな振袖なんか誂えて、成人式・結婚式も豪華で、大学時代に私が絣の着物を着ていたら母方の祖母が「同じ孫なのにこの違い」と憐れむようにいうのでポカンとしてしまったことがあります。
こういうことって世の中にありますよね。本人は何とも思っていないのに周りが「お前は可哀そうな恵まれない子なんだよ」と繰り返してその気にさせ、嫉妬やそねみや自己憐憫の心を催させる・・・「価値を創りだす」とか「消費欲を喚起する」なんていって、実態は敵愾心や怨嗟をもたらし社会をややこしくする。(今はやりの「人種差別」とか「文化の盗用」なんてのも、ほっときゃ何てことはない事態なのに、と思うことがしばしばです。)
別に欲しくない、というと「やせ我慢」なんて言われるのは、まったく迷惑千万でござんした。貧乏だから買えないんじゃない、ということを証明するため(にだけ)お金が欲しいと思ったことも。それも今はどうでもいいことになりましたが。