何か楽しい事でもあったんですか?
グリーンマートでアジフライときゅうり1本と🥒蕪3個袋詰めしていたら隣のご婦人にそう言われた。
あっ、そう言われて気がついた、鼻歌歌ってたんだな。アジフライとやわらかいキャベツ細かく切っていっぱいやろうと思ってたから、おいしい予感が鼻歌になって耳の奥でなっていて…それを隣の方が聞き止めた。たのしい時は音楽が鳴っているのだ…子供だけじゃない…ミュージシャンだけじゃない、、じいさんにだって楽しいノリは響く。
おっと、そういえば、実は絵もそうなのだ。よちよち歩きの子供の絶妙なバランス、疲れた大人たちだって、ふとした仕草、横顔に風景を残す。雲の重なり、空の青みや深み、通り過ぎる風の残していった余韻が空気感となって風景を作り成長し続けるから心の印画紙に転写される、それを描き留めておきたいから絵になる。
言葉だってそうさ。言葉と言葉がくっついたり、離れたり、生き物のように、枝分かれのように成長して広がっていく。成長が無事に着地点を見いだせるかどうかなんて言葉に聞いてくれ、たどりついた行き先が言葉の目的だったりして。
音楽も絵も言葉も人間が操っている以上「生き物」なのだと今わかった。そいつらを皆難しくしているのは商売人とその取り巻きたち、一生やってろ、あほくさ、あはは🤣
下の句…夢を夢のままにしておくわけにはいかなかった夢の向こう側、いつまでも手が届きそうで向こうに置いておきたいような、、うーん、かたりかけてきますね🤔歌はいいですね…読む方が勝手に発展させられる…歌の本質かなぁ
こちらには教会や高い塔の上に風見鶏がゐて、これが私は大好きなんです。風見鶏コレクションをやりたいけど、これはやっぱり空高く風に吹かれていないと風見鶏じゃないんですよね。
いちまるさんは絵がお上手だからいいけど(最近お休みですね)、私はそっちはダメなので風見鶏に捧げる歌を作ってみたことがあります。
・ひもすがら煉瓦の塔に風見鶏 天がける夢雲にかたりて