崩し読み:クズシヨミ、四角い部屋が好きなので…買い集めたり拾い集めたりした本は押し入れに閉じ込めておく…押し入れを整理する必要のためその本を表に出したため四角い部屋の感じがなくなった…外に出たたくさんの本を崩して読むしかない… 誠に贅沢。
ぼそっと10冊ずつ位の束にして適当に途中から読みだす…本は1ページから読めと誰も言ってないので。
さかさま文学史、寺山修司、黒髪編、角川文庫、102 〜104ページ
人形の悲劇女の悲劇…
光太郎が23歳のとき書いた「青年画家」という戯曲は、運命のいたずらを思わせる。
そこでは一郎という画家が冬子という美しい妻をめとるが、冬子は出産後、まもなく発狂するのである。
目を離すと、冬子は自殺を企てるので、一郎はいつもそばにいてやらねばならない。
冬子は、いつもいう。
「ああ一郎さん。
一郎さんは、わたし可愛がッてくださるの? 嫌いじゃなくッてね。では一緒に遊びましょう。だけど、わたし今病気なの」
後年、光太郎が智恵子をめとり、自分の処女作と同じように発狂させてしまう…という未来が、23歳の光太郎の手ですでに書かれていたというのは、何というおそろしい暗合だろうか?
光太郎と智恵子は、一郎と冬子の1幕の劇を、数十年かけてくりかえしたにすぎなかったのだ。
…中略…私は、光太郎の実生活を否定した芸術至上主義がわるいと言うのではない。たった1人の妻をもだましつづけることができずに、百万の鑑賞者をだませるわけがないと言いたいのである。
実際、光太郎の彫刻も詩も、私の心をとらえることはない。光太郎は、粘土の彫刻の女人像にも、心があるのだということを知らない人間音痴の男だったからである。
張り切った女の胸にぐさと刀を通して迸り出る其の血を飲みたい。
と、書く光太郎と、西日のさす台所でニ人分の葱を刻む智恵子、と。一体狂っていたのはどっちだったのであろうか?
引用以上。
たった3ページの重みがやり切れませんね。
(ぐるりと回転し始めた兄と電話でやり取りする日常が始まりました、ぼくの役割があることに感謝です、さてプールでひと暴れしてきます)
そうですよね、人間は誰もいろんな面を持っていて、例えば親たちは自分の子が友達や先生に見せている顔をしらない。池波正太郎の鬼平シリーズの中に大悪党がいて遊女にはとても優しい。その遊女と恋仲の若者が金がなくてもう通えないと知ると、そのための費用を遊女に渡したりする。そして「悪いことをしながら、一方で良いこともする、それが人間だ」などと言う。高利貸ししていた私の曽祖父も孫(私の父)にはとってもいいおじいちゃんだったそうな。