疲れた、、ヘルパーさん2人にお願いしたことそれは母の時と全く同じ、、お掃除その他はそこそこに話し相手になってあげて下さいお願いします、、金のある連中は、ここで良い施設に入れて手厚い介護を受けるように考えるだろう……とんでもないことだ…栄えある老衰を迎えるために(アメリカ始め臨床の実績の数字が示すように人間は80%の人が普通に暮らしていれば…自然死を迎えられる、ここの事実伝えられないのはひとえに資本主義故、、、何千万も保証金を入れて至れり尽くせりの介護を受けて何が楽しいのだ、今日兄のヘルパーさん2人とお見合いを済ませてヘトヘトになって近所の中華料理屋さんで熱燗老酒で二合いっぱいやってます、葱びたし湯煮イカと味付けやき餃子、海老ソバ食ってねる、兄貴頑張れ僕もがんばる、第4コーナーで孤独で確信的破滅に向かって燃焼しろ、ぼくも続く、母の時みたいに、そんなにうまくいくかな…ハハハ^_^
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「何千万も保証金を入れて至れり尽くせりの介護を受けて何が楽しいのだ」
その通りなんですけどね、お兄様のように家族・親戚の世話や介護を受けられる人は、数千万円を準備できる人よりも稀なんですよ。冷淡で人情などまったく持ち合わせない人間、あるいは親のことよりパラサイト息子・娘に構ってばかりいる男女が多い昨今、もうこうなったら最後はお金しかない、と思っている人はかなりいるはず。
いちまるさんのご家族のようにみんなで力を合わせて守っていく、なんてケース、特にいちまるさんのようにお母様に続いてお兄様の面倒まで、それも不平一つ言わずに軽々と(見たところ、です)こなしていく人なんて、今日び優曇華(うどんげ)の花より珍しい。
北欧の福祉制度がよく称賛されますが、介護専門家や医師はいても話し相手なんて「無駄」なことはしないので、血の通ったケアも受けず、清潔で立派な施設で孤独感に苛まれながら最期を迎える老人がとても多いそうです。北欧を旅するとこの地域ではそれが合理的で近代的な文化なのだと分かりますが、そのことに馴染んでいるはずの人々も、最後はどうしようもなく寂しい。
資本主義もですが、社会福祉で全てが片付くという考え方も人々を不幸にしていると思います。
話し相手に…これ身内でもむずかしいんですよね。性格にもよるのだろうけど。
何を話せばいいの、なんて訊く。どうってことないただのお喋りでいいのよ、と答えると、そんなこと話す価値ないでしょう、だって。価値!!この期に及んで!!
年とってぼんやりしていたり、眠たげだったりするのが、ある日真っ青なセーターを着ていくとじっと見つめて微笑んだ。それで、次回に見舞うときはうんときれいな明るい色の花を持っていってあげて、と頼んだけど、完全に無視された。その理由が「だってお花なんて水替えしなきゃならないし、いずれ枯れて捨てるんですから」とのこと。私よっぽど、あんたもいずれ老いて死ぬから生きてても仕方ないんじゃないの、って言ってやろうかと思った。
想像力の豊かなヘルパーさんだといいですね。