昔、放送大学のジェロントロジー:老年学のコースを取ろうと思ったことがある。子供の気持ちは自分が子供であったことがあるので何とか類推がつく。親の気持ちも親になったことがなくても子から見た親の冷静な観察の蓄積が記憶に残っているので何とか類推がつく。さて年寄り、おじいちゃんおばあちゃんが身近にいたとしてその人たちをどのくらい理解できていただろうか?それと、、現在進行中のお年寄りが、自分自身、というか僕自身、を分析できていると思うか? 例えば自分の老化の速度に追いついているか…なぁんて課題はゆっくり考えていくとして(今の気分としては「考え」が…自分を含め老化に追いついていないという気がしています、「老化をとらえるセンス」が鈍くなっていることに感謝すればいいのか反省すればいいのかわからない)…さて、今日の思いつきは…お互いがお互いのMessengerになる…ということの大切さです。何でもいいから発信し続けること、さらけ出すとまでは言わないまでも…露出する…その意味は大きいなぁと最近感じています。
とにかく考える手がかりは多い方が良い。センサーの違いはそうやってお互いに知っていくしか方法は今のところない。つまり会話を重ねていくしか…ない。話せばわかるわけではないけれど話さなければなおさらわからなくなる。荒っぽい言い方ですが…情報の整理は自分自身を信頼して受信と発信に任せる。何を言っているのかわからなくても、フィルターを通さず発信していく…それぞれの受信機発信機の感度精度はバラバラでもそうやってセンスを作っていく、その方法が間違っているかも知れないという見方をキープしつつ、、その方法がいいとか悪いの問題ではない、そうやって探っていくのは僕ら人間の癖だと知る。「本音の時代」(今突然そう言ってみたくなっただけ)はそうやって生きていくしかない(ほんとかや?)人間は全体でやっと一人前…あはは。人ってやっぱり面白い。
ところで今の僕の活動時間帯はがらりと変わって気分と状況次第…そうできることに感謝です。とにかく発信していくことの1つの見本になっただろうか?
(意図的にリリースされていく情報の漏洩の効果と目論見についても理解していかなければならない時代…いやはや忙しい時代ですがこんな時代人類の誰も経験してないのだから忙しくて当たり前、、ところで爺さん婆さんの事…誰だって年取る事は初体験、とばかり開きなおってもいられないし、面白がってばかりもいられない、あはは、…あははじゃない、泣き笑い🥴ベビーブーマーが早く死んでくれれば良いという問題でももちろんない…他の世代も、もうまもなく自分自身の問題となるわけですから、、。長生き問題が問題になるなんて誰が想像しただろうか、ほんの100年前。欲望渦巻く現代に楢山節考は受け入れ難いかもしれないが、考える奴もいると考えたほうがいい時代でもあるかも、、)
(兄の日常に介入するようになって、、これから兄の身辺、家の中にいろいろな人が世話に入る状況が、、、本人にとって初体験であるばかりでなく周りの人間にとっても心構えを迫られ、孤立であった現状に否応なく向き合わされる。その緩衝役として、、包括支援センターを中心に介護制度、体制の10年間のマンパワーの蓄積に大いに助けられています。現在60歳の人は半数位の人が90歳まで生き、4分の1位までの人が95歳まで生きるという統計もあるようです。ほんの20年前… 80歳位まで生きれば…後は自然な老化がソフトランディングを助けてくれると学びましたが、、僕自身そうでもないなぁと思っていたところへ…最近出版された本で…「老化は病気」である、病気であるからには治せる、、なんて勇ましい言説が流布されるこの頃では…老人は戸惑うばかり、ジェロントロジー:老年学も始まったばかりと考えた方がいいのかなと思います、それにつけても…老人のニ極化問題(富裕層と貧困層)…問題だ)
大器晩成、、、なんて言ってもらいたいものですが、、、とてもとても…先は見えてます、せいぜいおいしいもん食べて長生きするんだよと言う母の遺言を思い出し今イカの湯引きネギソース仕立てと言うのを熱々の紹興酒を飲みながら近所の中華屋さんで食しています^_^