夏の疲れ…と言う言葉はよく聞く。冬の疲れ…といってもいいかな、疲れている。本を読むことが冬の疲れに効くこともあるような気がしてきた、次に述べるようなことがあったからです。
昨日ポストに届いていた宮尾登美子の「櫂」少し読みだしたら…こんな記述にぶつかり…読める…と思い、今の体調に合っていると思いました、著者には悪いが…実用書。ちょっと引用します。
(喜和は氷会社の倉庫にまいてあるおがくず:鋸屑を乾燥させて簡単な煮炊きに利用している、、)
27ページ…喜和は、鋸屑が作る赤い粉の燠(おき)を、とても綺麗だといつも思った。燠は風の加減でキラキラと呼吸し、その息づきは子供の頃よく通った「畳屋」の店先の、玩具のビー玉の瞬きによく似ていると思い、火は生きているだけ、贋い(まがい)もののルビー玉より烈しく鮮やかなものだと見入ったりした。引用以上。
、、、不思議と疲れた心に効く。
疲れたときに読む本、悲しいときに読む本、気を引き立たせるために読む本、、そんなつもりで本を読んだことなんか1度もない。道具としての読書、それしかなかったような気がします、ちょっと大げさに聞こえますがそれが本に対する「態度」だった。誰に対する態度?…世間に対する態度。
ところで、、「暇」を実感したのも最近のような気がします。暇が身に付いてきた。例えば何もしなくても平気。だからどうした…ということではなく暇ということが少しわかってきたのかな。それにしても僕はやっぱり奥手だ。それでよし。
櫂、昨日は1日中読んでいました…今寝床で頭の中で読み返しています、この本の著者とこの時期に出会えて(本を通して)本当に良かったと思っています。文壇の噂など、ご本人は全ったく気にしてなかっただろうと勝手に想像しています^_^
「綴る女・評伝宮尾登美子」という本がちょうど2年前に出版されて、当時高知にいた私に同級生の西山寿万子さんがそれを貸してくれました。その本は、彼女のところに著者林真理子のサイン入りで出版社から送られて来たんですって。なぜかというと、評伝を書くため来高してあちこちで資料を集めていた真理子さんに、寿万子さんが登美子さんに関する貴重な情報を提供したから。(寿万ちゃんの生家は登美子さんだかその家族だかの住んでいたところに近くて、その若松町近辺の情報が真理子さんの役にたったということでした。)
文壇における宮尾登美子の立場(特に女流仲間から好意を持たれていなかったそう)が分かって、その辺の裏話は結構面白いと思いました。いや、正直なところを申しますと、私が覚えているのは、他の作家(それはもう、杉本苑子とか瀬戸内晴美とか色とりどり)が宮尾さんについて発したコメントだけ。ゴシップ好きの女ですみません。
「櫂」は私が筑摩書房に入社して最初の太宰賞受賞作で、選考の下読みからかかわったので昨日のことのように記憶しています。残念ながら私の読んだ作品は最終選考までのこりませんでしたが、「櫂」は高知とゆかりの深い作者で作品の舞台も高知だったので他の太宰賞受賞作品とは別の印象をもちました。すでに私家版として活字になっていたもので完成度も高く、あとできいてみると有力な選者の推薦もあって受賞作となることは約束されていたもののようでした。太宰賞はもともと筑摩書房が単独で主催していましたが、業績不振で一時中断していました。三鷹市をスポンサーにして共同事業として再開してから第9回目の受賞作でしたがそれまでなかなか有力な受賞作がなかったので、「櫂」はむしろ太宰賞のテコ入れに受賞した感がありました。
プレリュードにしてほしいとつくづく思いました、軟着陸…なんちゃって、、って言いたくない、いざなわれたい♪
手紙などの見本文に「暦の上に秋は立てど、残る暑さのきびしく・・・」とあり、また「暦の上は春になったが、余寒きびしく」という表現も可能。でもこれは夏と冬には使えない。「暦の上に夏は来たが、残るほのぼの」とか「冬になったが残る涼しさ」などということはできない。
と書かれてあるのを読みました。
春・夏と秋・冬の境目と異なり、夏が終わって秋の気配を感じたとき、冬の夜長から光差す春に変わったときには、老人や病弱な人ならずとも「ああ、何とか越えた」という安堵感みたいなものがありますね。
今朝起きて最初に考えたこと。私と同年の人は今年「後期高齢者」になる。その移行期をコロナ渦の中で迎えることには、何かシンボリックな意味があるのかな。コロナは人口最多世代を「徒然なる日々」に誘うプレリュードだったのかしら。