< しょうがない >
会社の金を食われた…世間的な言い方で言うとこういうことになるのかな。サラリーマンの内職みたいなすばしこいアルバイト?でも埋め合わせがつかなかったツケが積み重なると大層な額になる。
回収した売掛金の会社への入金を遅らせて、その金で国内の製造業者の石製品を購入し売りさばき、儲けを差し引いて会社に入金する。最初はうまく回転していたそのカラクリの収支が合わなくなったと言うわけだ。
仙台郊外に作った会社の経理担当として勤めていた時にその内職が発覚した。中間決算でぼくがすべての得意先に郵便で売掛金の残高照合をかける準備が終わったその夜、あーこれで全て内職がバレてしまう!もはやこれまでかと内職をしていた連中がそんなことは夢にも知らなかったQさんに相談を持ちかけて…連中から嫌な役目を背負わされて、Qさんが夜遅く僕のアパートに来て…仲間たちの内職の全てを明かしてくれた。仲間に吐露させた走り書きのメモには、顧客先の名前と金額が書かれていた。入金を遅らせてその金を流用していたからくりの洗いざらい。返せなくなったツケが半年間で積もり積もって約一千万円。
出資者で社長でもある僕の友人に一部始終を報告して…東北に散らばったお得意さんに、確認のために、Qさんと無我夢中で車で回って歩いた事後処理の1週間が過ぎた。経理担当者としての責任を背負ったその時の僕の気持ちは…起きてしまったものは「しょうがない」。
一部始終を「事件」にしないで(つまり官憲の手に委ねることなく)関係者たちと話し合いで妥協策を見出そうという社長の決断。設立後はじめての決算、税務申告を済ませ僕は退職した。司法書士も税理士も介さず会社設立登記から税務申告、銀行折衝まで一手に引き受けてきた僕の仕事、それに続くやっと慣れ始めた仙台での一連の仕事が早くも終わろうとしていた。これがサラリーマン生活との決別になるとは思ってもいなかった四十年近く前の話。十八歳から始まった、ぼくの世の中のカラクリを学ぶ社会労働大学の十数年に及ぶ長い実践授業(一体いくつの会社を渡り歩いたんだろう)は、こういう形で終わった。
(事件発覚後、Qさんと実情の確認のためにあちこちのお得意さんを回っていた時…松島の海岸沿いを何度も車で往復し、その、名にしおう風光明媚な景勝の地になんの感興も起こらず、次の行き先をQさんの指示するままにただ運転し続けていたシーンが今よぎりました)
< 昨日の蛇足の蛇足 >
…昨日の補足説明です
(誰がこんな話まともに聞きたいかっての…アハハ、独りよがりの強みですね、幸せな男だ、ぼくは)。
昨日「だ」の言い切りで自分で自分の気分を盛り上げる方法について言及しました。あれからちょっと、昨日の< 蛇足 >に関連する、文章の盛り上げ方と講演会の盛り上げ方の共通性について、お手洗でようをたしている時に思いついきました。お手洗いと言う所はよく言われているようにやっぱり「思いつくところ」なんですね、と。
昔、民社党党首の西尾末広さんの演説を聞いたことがある。柔らかな口調は終盤にさしかかりだんだんと声のトーンが上がっていく。若い時から万事しらけ気味の僕でも…やるじゃん、と思うくらいに熱く盛り上げて、終わりました。いかつい顔の彼から吐き出される意気が僕にまで伝わってきました。政治家ってすごいもんだなと思いました。デマゴーグ(政治的煽動家)と言う言葉が浮かんだかどうか忘れました。
(わざわざ出向いて政治演説を聞きに行く僕では無いのですが、当時僕が所属していた組合を支持母体とするのが民社党でしたので講演会に駆り出されたのだと思い出しました。余談ですが、最初にできてた第一組合からは僕が所属する第二組合は御用組合呼ばわりされていました。僕は入社とともにユニオンショップ協定により自動的に第二組合に組み込まれていました。当時、日本の組織労働者は三千万人と言われ、今よりずっと多かったですね)
違うパターンの盛り上げ方の講演会の話をします。
25 、6歳の時でしたか。飛び込み営業の修行のために入ったある結社?の僕の飛び込み営業の師匠でもあり企業セミナーの講師でもあるT先生は逆パターンでした。集まった講演会で講演を始める前に準備運動をさせて一気に盛り上げるのです。初めて立ち会った僕はちょっと驚きました。講演会の常套手段の1つだろうとは思いましたけど…これは聴衆者を惹きつける一瞬のマジックだなと思いました。T先生が特攻隊式の?柔軟体操をするのです。簡単なものなのですが号令をかけそれに唱和させつつ柔軟体操をする。それが終わると、着席する時、ザワザワと言う騒音とともに会場全体が一気にリラックスしたのがわかりました。後は例によって多分どこでも話しているであろう、自分が特攻隊の生き残りであること、なぜここに立ってるか、から始まり、部下に対する目のかけ方、この人のために死ねるかを…「武士は己を知る者のために死す」など葉隠を引いたり、こわいくらい冷静に上司を見ている、そんな部下の目を理解しているかどうか、などなどの人心掌握術の熱弁の間に…通天閣の日立の広告を取ったのは自分であることなどをさりげなく講演に織り込み、ほっとさせたりぎょっとさせたり西尾さんと同じようにポイントポイントで繰り返し山場を作り最後に二、三の大事なキーワードを挙げて講演を終わってました(ご本人の中では…アメリカ仕込みのマネジメント思想を日本に普及させた産業能率大学の上野陽一を意識していたのではないかとその後そこをやめてからふと思ったこともありました)。
なんでこんな40年以上前のこと思い出したんだろう。きっと、音楽曲や文章の調子も似たようなところがあるのではないかと言う連想からですね。講演は…曲とも文章とも似ている。その伝で行くと…今取り上げている品詞、特に前回< 蛇足 >で取り上げた助動詞、形容動詞「だ、である」の言い切り調子は全体の曲調に対する指示に過ぎないのではないかとちらっと思ったのです。そう思ったら…形容詞をきっかけとして脳に出す指示もあるいはもっと違う形のものもあり得るなと思いました。で、結局…
でも、待てよ、旧皮質に出す指示のイメージとしては…あれはあれでいいかな。曲や文の調子を整えるのは…やっぱり次の工程の新皮質の仕事と言うことにしておこうか。脳は旧皮質→ 新皮質、のトップダウンの指示系統であると言う所は動かさずにおいて、旧皮質から上がってきた課題の論点整理などの庶務的な?仕事は新皮質がやる、と今のところしておけばいいや。これは先々もっと大きなテーマに収束していくときにまた考えることにしました。メモとして記録だけはしておこうと思いここに書きました。
とんちんかんなアイディアでも一応その時考えられる行き止まりまで考えを進めておかないと自分自身の参考にもならないので最後まで、あと1週間ばかり、今までの調子で続けますね。
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形容詞マニア いちまる 2月2日
形容詞マニア いちまる 2月2日
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おかげさまでメルケルさんにちょっと親しみを覚えました😉