4月13日(日)
微助っ人クラブのメンバーが、ちょうど100人になった日に、この日記も100回目を迎える…てなことをちらっと考えたこともありますが、急いては事を仕損じる、、そうは、甘く問屋はおろしてくれません。
昨日は微助っ人クラブのグループLINEをお騒がせしてしまった。僕の時間構わずの投稿による安眠妨害。ルールも決まっていたので、ルール違反のイエローカード。レッドカードでなかったことが不幸中の幸い。
レッドカードをくらって、微助っ人クラブのグループLINEを今抜けるのはちょっと辛いかもしれない。浅い薄い細い付き合いのその後も見たいから。
スマホでグループLINEに発生させる夜中の着信音は生活音ではない。皆さんの安眠を妨げて悪いことをしたなぁと思う。これからは一応メンバーのリクルート活動もピリオドを打ったので、皆さんの心配はなくなる。とは言え、途中経過はちょっと確信犯的なところもあり、我ながらさすがに反省する。
ところで、、とふと考える。今聞こえる生活音はなんだろう。
早朝の豆腐屋のラッパは聞こえない。お隣の子供の騒ぎも聞こえない。犬の声はたまに聞こえる。赤ちゃんが時間構わず泣くのは仕方がない。許せる音と許せない音。
表の騒音は耳の遠い僕にとっては問題にならない。トランペットを吹く時は、消音器をつけてやる。音が漏れていないことを願うばかり。
昨日行った押上の線路際のたい焼き屋さんはカンカン踏切のすぐ近くにあり電車が通るたび信号機がカンカンと連打する。
その音を聴きながら、若い人たちがコーヒーを飲んだりたい焼きを食べたり、呑気な風情。
許せる音と許せない音。安眠妨害はダメだろ。ノイズは許さない社会、ちょっと辛い溜息混じりの最終回…以上です。
声命/しょうみょうに端を発しているのかなと
街宣車の若者はびすこさんにそう言われて、虚を突かれ、彼本来の素/す、が出てしまった😆
物売りの声とお祈りの声が似ている理由😅そもそも物売りは声命/しょうみょうを真似た、、パクリ、、とにかく最初に声を出した人は、他に思いつかなかった😅
今は騒音条例とか煩いのでしょう。東京に住んでいた頃、右翼の車が軍歌を響かせて回るのに辟易しました。一か所に停まって音楽はそのままで内職ができないので、出て行って「どこか別のところへ行ってくれませんか」というと、運転席で寝ていた若い男性が「あ、すみません」と謝って次の場所へ。その話をしたら、友人たちが驚いて「あんた、人によってはぶん殴られるよ」と警告してくれましたけど。知らないことの強みもある。
どこかで書いたことがあるかもしれませんが、かつては竿竹売りがいて「竹やあ~、さおだけ~」と言うのを海外からの研修生が聞いて「この近くにモスクがあるの?だったら僕行きたいんだけど」というので、何のことかと暫く考え込んだことがあります。確かにあの物売りのトーンは、朝夕にモスクから聞こえるお祈りの声に似ていますね。