4月4日(金)
自分の持ち場が社会とどうつながっているか。
40年位前異業種交流会というのをやったことがある。確か当時の流行りだった。違う仕事をしているお隣さんに学ぶ。他人から学ぶ。他の企業から学ぶ…つまり社会から学ぶ。
ネット社会では異業種交流会はもしかしたら簡単にできているのかもしれない。その辺どうなのかご存知の方がいたら教えて欲しい。僕はいつも時代についていけない浦島太郎。
教える人がたくさんいる社会がいい。
教える人も教わる人。システム全体を見通す事は難しくても違う視点から見る事は他人を頼ればすぐできる。
隣の芝生は青い、きれいに見える。では、その実態はどうだ?隣の芝生に入ってみればいい。
あいつは、なぜうまくやっていけるのだ?あいつに聞けばいい。少しは事情がわかる。
ところがそんな事情にはなっていない。隣はライバル。訓練は、子供の時からしている。でも本当にそんな教育かどうか現場の声を聞かせてもらえばいい。微助っ人クラブに学校の先生の経験者はいらしたかな?いなけりゃ、誰か連れてきてください。現場の声が直接聞きたい。
聞くほうもきっと体力を要求される。それでも聞けるところまで聞けばいい。その方が全く聞かないことにするよりまだマシだと僕は思う。他のグループLINEで少しだけ現場の声を聞いてちょっとドキドキしています。
西周、組織だとか、いろいろな言葉を編み出した人として聞いたことがあります、、中国がそれらの言葉を逆輸入して使っているという現実、、
今ちょっとググったら…哲学、芸術、理性、科学、知識、定義、概念、命題、心理、 物理、、
などの単語も案出しているようですね。
リタイヤ後でも「つぶし」が効くのは限られていて、なるほど、語学関係の方はお呼びがかかるのですね。4年ほどの続いた英語クラブの講師を買って出てくださった方たちは…日常的に使ってないとやはり錆び付くみたいなことをおっしゃってましたっけ。
びすこさんがおっしゃっているのは、それとは別のことで…、知識のレベルの違いで教わる方も教える方もきっかけがつかめない…そのところが教えるほうも教わる方も手探りになっていくわけですね。
その類推から、外国語と格闘してきた先人たちの努力もただならぬものだったということが想像できます。崖のような彼我の知識の落差。それを思えば、僕らは、恵まれすぎているのに…外国語の獲得が容易でない、、あ!?僕だけ?
異業種交流会って、ありました、ありました。まだ30代の頃。
でも考えてみると世間の付き合いの中では異業種の方が多いはずなんですね。同業者はむしろ少ない。私の仕事は言語に関していたので、今でもその方面の仲間とは付き合いがありますが、学生時代の友人たちの多くは全く異なる分野に従事していましたから、同窓生で食事会などやっても(今はみんな引退しているためもあって)昔の仕事・専門が話題になることもほとんどありません。一方社会人になってからの友達は、退職後にも言語教育のボランティアなんかやっていて、元はプロだからなかなかのもの、暇つぶしとはちょっと違います。(優秀過ぎて付いていけないと感じる人もいないわけではないらしい。そこのところは難しい面もあります。)
話は違いますが、過日山本周五郎の時代小説を読んでいたら「世界」という言葉が出てきて、ちょっと「あれ?」というところでした。長屋の娘が「世界中の赤ちゃんが」なんていうのですが、江戸時代に世界という言葉があったのか、言葉があったとすればその概念はどうだったのか、などと考えてちょこちょこと調べてみました。
世界という言葉は中国で唐代に生まれて、それが日本に持ち込まれた、というのですが・・・平安・鎌倉時代から江戸時代までの日本人にとって世界はどんなものだったのでしょう。かつては外国といえば唐天竺。してその範囲はどこだったのか。地球儀も地図もないから、とにかく日本の外、と言ったって、日本の領土だってわかってなかったのでしょう。
いずれにしても、時代小説に使われるような言葉ではありませんね。当時なら、世間とか世の中とか。社会って言葉もなかったと思う。
ついでに、科学という言葉は西周(にしあまね)が創ったんですって。(この人、鴎外の又従弟らしい。)