3月29日(土)
補助線を入れると見えてくるものがある、
というのはかつての僕の上司の言葉です(もともとの意味は数学の証明における補助線の役割を引き合いに出して、現実問題にも当てはめろと強調したかったのだと思います)。
あと10年もすれば、俺たちの時代が来る。
もう10年もすればお前たちの時代が来る、
これも僕が30歳の時の同じ上司の言葉です。
ところで、、子供がひと時もじっとしていないのは当たり前ですよね。
生まれて初めて目にする新世界は、見るもの、聞くもの興味の対象でないものはない。自由自在に浮遊する自分自身を座標上のあちこちに置いてみる。多分その全てを記憶している。体全体を使って。
10歳になった時、世界はどう見えていたか僕らは覚えている。忘れているというのはたぶん言い訳か勘違いだ。言葉としては表現できないかもしれないけれど、体が記憶している。
僕らが時代の変化の速さに驚いているというのも、もしかしたら嘘だ。10年前の経験が役に立たないという事実が、時代の変化の速さという言い訳に置き換えられて、わかりやすい単なる言葉として理解している。そう、単なる言葉として。体がないがしろにされている。言語化されて漏れていくものがある…ダダ漏れ。
そこから類推するに、、問題もおそらく言葉ですり替えられている。本当は…誰かの問題は、ほかの誰かにとって問題ですらないのに。
例えば…下世話に言えば金に困っている状況は金を持っている人にとっては何の問題でもない。すぐ解決がつくからだ。
目の前の問題は、他の人にとってかつての問題ではあっても既に解決済みなので、今の問題ではない(問われているのは、それぞれの人にとっての今。今を引き受けている現場が声を上げろ、そうすれば引きついでくれる人が出てくるかもしれない)
それぞれが自分の都合でさっさと合理化して結論する(若い人が、これではもったいないもいいところ。若いときの時間は、多分年寄りの時間の何倍も早くすぎる。年寄りになればわかる。だから泣き言は後悔する前に口に出せ、口に出さなければ、問題が俎上にのらない)。
せっかく自分は他の人の次の一歩を踏み出すための補助線になれるのに自分自身は錯綜する補助線に絡め取られてしまって、どれが自分の役に立つ補助線かわからなくなり身動きが取れなくなる。
試行錯誤して手がかりになる補助線を引く。うまく解決しなかったら、次の補助線を引いてみる。
それぞれの自由な思考を邪魔するのも、実は他人が引いたその補助線なんだと僕は思う。
どれが役に立つ補助線なのか判定がつかない。それが僕らを取り巻く今の状況だと思う。ヒントはもらったとしても実行するのは自分自身。
困ってる時は他人を頼れ。お願いするだけでいい。補助線をください。いただいたその補助線で僕が考えます!
例えば、僕の場合…恐れ入りますが…仕事をください、、というふうに試しに頼んでみれば、相手の頭が働き出す。その結果をいただく。
AIに相談するよりはずっと面白い。相手の全存在がかかっているからだ。AIに全存在はない。全存在がないんだから、責任の取りようがない。
AIの言ったことですから…まるで…子供の言うことですから…と同じ文脈で使う。子供は馬鹿にされたと思うだろう。AIはどう思う?
これで何か意味のあることを言ったことになるのか?少なくとも今は効き目がなくとも後で思い出してくれればいい。親の意見と冷酒はすぐにゃ効かぬが後で効く…今日も偉そう🤪
昨日は結構忙しかった。あっちを直し、こっちの段取りをして、固まるのを待つ、ほんの少し足場を他人が支えてくれるだけで仕事がやりやすくなる。仕事を他人に頼れば代金を払わなければならない。自分でやれば出費を防げる。金を稼いだのと全く同じ。遊ぶのとも全く同じ。
安上がりに遊べば金を稼いだのと同じ。だってそうでしょ、遊びはお金がかかるものですから。ゲームをして遊ぶから、たいしてお金がかからないと思っているのは大間違い。暇つぶしの時間を労働時間に充てれば、当然お金が得られるわけですから。
ことほどさように、遊びはお金がかかるもの。
払った高い授業料で得たものはなんですか?アウトプットするのは今。
「泣き言は口に出せ」というのは、実はちょっと違ったコンテキストで菜のですが、最近その重要性を感じていたところです。
郷里に同い年の従妹がいて、たまに電話で話したり帰国時には会ったりもするのですが、同じ世代で同じ社会の変化を経験していて話が合う一方で、お互いの母親が全く異なるタイプ。彼女の母親は私の父の妹なので、私の母にとっては小姑にあたるのですが、そういう関係ばかりでなく、頭の出来がまるで違っていて話も合わない。叔母の方は女学校で開校以来の秀才と言われたほど頭がよくて高等師範学校に進むように先生方から勧められたのに、親はさっさと県内の大金持ちに嫁がせ、そのドラ息子が財産を食いつぶして結果大変な苦労をすることになりました。
お互いの親が逝ってのちに、従妹が言うには、とても我慢強い母親で、貧乏に関しても、また、これがポイントなのですが、自分の体調や老化についても、一切泣き言を言わなかったんですって。それで、還暦になる頃には相当体力が落ちてくることも、老眼や難聴や、足腰の衰えも、耳にしたことがなく、ほぼすべての老人にそういう問題があることも従妹は知らなかったそうです。
一方私の母は暇さえあれば、新聞が読みづらいの、指が曲がったの、足の裏が痛いの、食欲がないの、立ち上がるのに苦労するの、とにかくありとあらゆる苦情を、しかももっぱら長女の私に全部ぶつけて来る。こんなんでは生きている甲斐がないとか、何のバチでこんなことになったのか、とか、もう耳をふさぎたくなるくらい。
でもね。おかげで今の自分がちょっと調子の悪いときに、「そういえば、あの母親も60代にはこんなこと言ってた」とか「70代後半ではこうだった」とか、思い出すことがいろいろあって、そうか、まあ、年とればこんなものなんだろう、と母親の大袈裟病歴との比較が妙に慰めになったりする。
従妹の方は「今にして思えば、母親にもこの種の愁訴・苦痛はあったはずなんだけど・・・」と、何も訴えなかった母親にむしろ文句を言いたくなるとか。叔母が70代終わりに癌で亡くなるまで、老人の健康問題を一切知らずにいたため、今になって「え、これ、どういうこと?」「どうしてこうなるの」と自分の体に驚くことが多いんですって。
叔母のことを「カッコいい昔の女」、と思っていましたが、従妹の話を聞いて、やっぱり人間適当に弱みを晒すことも大事なんだな、と今頃悟っています。