3月16日(日)
適当にやってみると、辻褄合わせみたいに動いていくことがある。誰かが動かしてくれることもある。人が集まれば何かが始まると言うのは仮定だ。岡目八目で他の人の動きの中から自分の位置を探っていく。まぁ手探りは、お互い様。
少しずつが面白い。少しずつしか動かない。少しずつなら飽きることもない。大きく失敗することもない。それでも立ち止まって考えれば、風景は半年前とは全く変わっている。
半年前にはなかったものが、たとえ絵に描いた餅ではあっても、とりあえずある。たとえば微助っ人クラブ、、少しずつ参加者が増えているけど行き先は誰も知らない。
何かに煮詰まったら自分自身が変わっていくのが1番手っ取り早くて安上がり。参加した時点で何かが変わった。各々のセンサーが作動したのにその自覚もないかもしれない。
この気楽さが少しずつ風景を変えていく原動力。一寸先が見えにくい世の中は手探りが1番危険が少ない。少しずつ変わっていけばいい。それしかないのではなく、それが1番いいと思う。それぞれが主役なのに、主役の自覚がまるでない…あはは。
今日は小雨の中、気楽な散歩会に応募してくださった方が四つ木駅に集合する。お一人お一人のそれぞれの事情を考えるとちょっと感動的。
小雨の中の散歩、ちょっと文学的でいいな。なんて言ってるけど、私が誘われたら「うーん、雨降ってるし」とかナントカ理屈を並べて断りそう。大体、自分も含めて女性って現実的・実際的(功利的ともいう)だから、意味がなさそうなことは避ける。
その気楽な散歩会の皆さま、きっと男性が大多数なのではありませんか。女性の参加者を多くしたら男性も張り切るかもしれない。
今になって子供時代のことを思い出してみると、すぐに頭に浮かぶのは、そもそも意味なんかないことばかり。子供だから意味だの意義だのは考えない。でもそれが心に刻まれている。
子供はそれでも宿題があったり成績を気にしたり、呑気な毎日というわけにはいかないけれど、テストも成績表もない高齢期は毎日を役に立たない言動で埋めていく特権がある。惜しむらくは体力の衰え・・・だけどそれも自分の今に合わせていけばいいんですよね。