1月19日(金)
小説を書く楽しみって何だっけ?
ありそうでなさそうなちょっと突飛な仮想現実を作り出し、なさそうでありそうな人間群像を描く
時代を遡りその時代の人間になりきり過去を生きてみせれば歴史小説
まだ来ていない時代…これから迎える時代を予想して未来社会を生きてみせれば、未来小説
僕の100年物語はミニ歴史小説でもありミニ未来小説を目指していた
ちょっとした昔ならうまくすれば思い出せるかもしれない、ちょっとした未来ならひょうたんから駒でひょんな未来が描けるかもしれない、という甘い目論見。
瞬発力のある主人公2人が過去を生き、未来を生きていく物語…
(このメモは生き延びてまたいつか小説を書きたくなったときの発破/起爆剤になるかなと思って残しました)
明日からタイトルが変わります引き続きよろしくお願いします。
去年の10月11日(水)正伝 陋屋記300回で最終回となってました。
タイトルがやっぱり僕の心境に合うので、それの再開ということにします。
先日、ちょっと古いのですが糸井重里と林真理子の対談をたまたま見つけて読んでみました。糸井さんによると林真理子女史は糸井氏の事務所でコピーライターの仕事を始めたけれども、どうもうまくいかなかった、代わりに作ってやらねばならないこともあったとか。しかし文章はなかなかいいので、何かを書くことを進め、林さんは結局小説家になったのですが、二人が合意したのは、
・コピーライターは100を1に要約せねばならない
・小説家は1を100に膨らませなければならない
という大きな違いがあること。
だから両方はちょっとむずかしい。(どちらもダメという人はたくさんいるけど。ここにもね。)
1を100にするには、「小説」というだけあって小さな部分に注意を払いつつ話をどんどん広げていかなくてはならないのですね。そういう人は、何を見ても聞いても、どんどん枝葉をつけて花を咲かせて、話を盛り上げていく。さあ、いちまるさんも頑張って!!