10月26日(木)
順子のお見合いを進めるにあたって社長の友人でもある〇〇は手回しよく順子の代わりになる若い、貿易会社の社長好みの社員候補を2人ばかりピックアップしておいて、、社長と女性社員二名との見合い話?も並行して進んめていたのだった。
〇〇は、この時を遡ること数年前までに、祥太郎の父親の残した骨董品の買い上げについて若い祥太郎が素人離れした美術と骨董品に関する天性の鑑識眼をもつと見抜き、いつしか祥太郎に美術品古物商取引のいろはを伝授する師弟関係に発展し、ことの成り行きとして、しまいには、祥太郎も〇〇の後押しが功を奏して1人前の美術品古物商として独立を果たす。もちろん見い出した〇〇も同業者に鼻高々、当然〇〇の立場も業界において、より確かなものになっていった。
祥太郎は人も羨む〇〇が見つけ出した自慢の弟子。オークション会場でも〇〇の期待以上の評判とともにその鑑識眼の確かさは同業者の間に定評となるのにそれほど時間はかからなかった。
歳を経るほどに古株の同業者からも一目も、ニ目も置かれる存在となったということである。たとえ偽物でも祥太郎が、目をつけたものにはそれなりの高値がつくまでの信頼。魑魅魍魎の暗躍する世界、と言って悪ければ海千山千の商売人たちの間では、どんなに金を積んでも得られない、金に換算できないほどの価値である。
さらに、この場面からさかのぼる。(物語の辻褄を合わせるためにこんなことが起きてしまう)
祥太郎が生まれる前から、父親が無類の骨董品好きであったこともあり、祥太郎の父親と〇〇との付き合いは長い。
晩年の父親は会社経営に参画していながら役員会議で自分の方針が通らない、そのストレスを解消するために趣味の骨董品漁りに精を出すことになり、会社経営の一翼を担う身としては、いささか異常と言っても的外れではない位の身の入れようで、趣味の範囲を超えていた。
まぁそんな事情も重なって、祥太郎が生まれてからは、祥太郎自身も物心ついた子供の時から〇〇と父親のそばにいて話を聞きながらいつしか、門前の小僧習わぬ経読みの境地に達していたと言えるかもしれない。
それにしても祥太郎には、先天的に本物を見分ける目が生まれながらにして備わっていたという〇〇の見方もあながち間違ってはいない(この辺全くご都合主義、とは言え、実際にはその道に関して、天性のセンスの持ち主はいくらでもいるだろう、本人がそのセンスを生かす生かさないは別として。
本物は本物によって見出される。
(〇〇の手慣れた職人的な人身掌握術は親の代からの美術品取扱業者〇〇にとって身に付いた世渡り術でもあった。段取りの良さは仕事のいろは。それを除くすべては時の運…これが〇〇の人生訓、処世術)
(昨日四つ木御殿で「美文字研究会」が発足した。家を探すのに30分ウロウロした方がいらして、それでも合流できたのでほっとしていらっしゃいました。
僕を含めて5人は全員初対面。取り組む文字は自由で、運営も自由、先生はいないと聞いて最初皆さん面食らっていらっしゃいましたが他のクラブの運営方法も似たり寄ったりと告げると終盤には何とか、合意に達して下さいました、やれやれです。
来月の開催日も決まり解散。帰宅して昨日来られなかった方々に留守番電話、電話、ショートメールなどで決まったことをかいつまんでお伝えしました。
皆さんが話し合いしている最中僕のほうは甥っ子達と兄の施設の入所について打ち合わせをしたり役割分担したりするメールのやりとりに、結構忙しかったりイライラしたり…家に戻って電話をしたり気持ちの整理をしたり、今日の分の小説に色付け?したりして夕方5時過ぎにはぐったり。
四つ木御殿の近くのグリーンマートで430円の焼きサバ弁当のおかずをつまみながら小さな湯飲み茶碗で3杯お酒を飲み、3番目は飲み残し、頭の中の整理は夢に託しました、、で夜中に目が覚め、いつものように寝床でこれを書いています。
この時間帯が1番幸せです。このあと文章を読み直して、ざっと意味が通っていればホームページにアップして一眠りするか、そのまま起きて、このところ遠ざかっている読書などに取り組みます。それが最近の傾向です。
ある程度の忙しさが悩みを薄めてくれる、あるいは、悩みからちょっと距離が置ける?
忙しい時はやけに忙しくて、忙しさに、かまけて、そのテンポで皆さんを話し合いに巻き込んだりしてさぞかし皆さんご迷惑だったろうと思いますが、結果良ければ全て良しということで納得していただきたいところです。
耳もろくすっぽ聞こえないのにどうやって話し合いを進めているかと言うと…集まった順にみかんなどを配り、耳が聞こえないことを伝え、、僕はこの指とまれの呼びかけ人に過ぎず、後は皆さんで好きなように運営してもらうというのが今回の集まりの趣旨です、と一方的に話します…
次に他の会ではどのようにやっているかと言うことも伝えます、この辺で皆さんイメージを固めてくれるらしく、やっと諦めて恐る恐る皆さんの話し合いが始まります、、
ここまでが僕の仕事で…僕の頭の中ではこれで一仕事済んだと勝手に決めて、甥っ子達とメールでやり取りしたわけです、、
こんな書き方で果たして現場レポートになっているのだろうか…
これは今度始めた小説でも同じ流れです
僕の書く前振りに、どなたも反応がなければ…小説は…どうしても独りよがりを免れない。あ、あ、小説って、それでも良いとは思いますが書く方としてはイマイチ盛り上がらないだろうなと分かります。
(この文章もなんだか自分のことを言うのに自分自身を幽体離脱
(または、体外離脱:埼玉大学理工学部では、幻肢痛の治療とか片麻痺のリハビリテーションに応用できないか研究しているらしい!)
させたような書き方になっていますね…この辺も小説のテーマですよね…僕の手に余る、手に負えない)
僕がどんな展開で小説を書こうと…びすこさんが、うまくあしらってくださるので、すげー助かってます。いずれ、びすこさんも飽きる😞とは思いますが…それを1日でも先延ばしするために僕は努力して小説を書きます…なんちゃって…これでもお礼を申し上げているつもり…あはは🤣
大丈夫ですよ、私はそう簡単に「飽きる」ことはありません。飽きてもまた戻ってきます。これは子供の頃おもちゃらしいものもなく、有り合わせの物で一人遊びをするほかなかった経験に由来する性癖だと思います。限られた資源を有効に。ボタン一つでも襤褸切れでも無駄にしない。だって代替物がないんだから。
目利きの話ですけど、これ前にどこかで書いたかもしれませんが、大変優れた人格で清廉潔白で知られるかつての上司が、「子供の頃から良い品ばかりを見てきた人は、良くない物が入っているとすぐ分かる」と言っていました。「人間も同じでしょうか。立派な人ばかり見て育つと、ロクデナシやヤクザな人間はそれとすぐ分かる?」と訊くと、うーん、それはどうかなあ、という返事でした。質問した私には、答えは分かっていたんです。だってこの上司、周りにも優れた人が多かった一方で、誰が見ても詐欺師みたいな男にコロッと騙されていたのですから。
でもね、いい人ばかりと付き合ってきたら小説なんか書けないですよね。といって、海千山千であれば作家になれるかというと、これも怪しい。最近読んだ作家さん、若い頃はバーテンダーとか「酒と女」に関係した仕事をしていたんですって。だから知っている「蛇の道はへび」、職業上の経験も貴重な資料・題材になるんですね。