1月3日(水)
街が動き出す、試運転。もともと1日たりとも街は休んでいない。
年末年始はキリが良いので休む人と休まない人と分かれるだけだ。
本当は誰も休んでいないと言ってみる。それが現実だとも言ってみる…言葉にするとそんな気もしてくる。
旅行に行った人もつかの間の現実逃避?から帰ってくる。
現実さえしっかりつかんでいない僕は逃避する必要性を感じない。
とは言う物の、問題がなければ途方に暮れるばかりかもしれない。問題が現実に引き戻してくれる。
自分で作る問題も、投げかけられてくる問題も、問題を難問にしないほうがいいと思う。食いつきやすい問題にする。
問題をわざとややこしくしたり、問題をはぐらかしたり、問題を問題ではないと言いくるめたりする人たちに対処するためだ。そのためには暇を作らなければならない。
1年の計は元旦にありと言うではないか。
と言うわけで僕の1年の計は、、目まぐるしい世の中をのんきに暮らすこと。
これはとてもぜいたくなことに違いない。これ以上ない贅沢かもしれない。
(野良猫たちは野宿すること食べることに厳しい冬だろう。野宿している人間もしかり。かと思えば、死ぬまでの暇つぶしに困っている人もいるだろう。今回の能登の地震で困窮している皆さんにこの冬はことさら厳しいだろう。
四苦八苦を見て見ないふりをする。大きな顔できない理由だ。そういうわけで陋屋に暮らしているわけだが、責任回避の言い訳としては決して充分ではない。
昨日の午後散歩のついでにいつもの通り道のポイ捨てタバコを拾って歩いた… 30分かけて500メートル位実行しただけですぐに手持ちの缶がいっぱい、、今日は、いつもの通り道をちょっとだけ大きな顔をして通ることにする、あはは🤣)
目まぐるしい世の中に合わせる必要なんかありませんよ。もう飽きるほど合わせて、せっせと稼いで生きてきたんだから、老後は好きにさせてもらいたい。
先ほど今年80歳の日本人男性から年賀状が届いて、いろんなボランティアも若手に引き継ぎ、これからどうやって過ごそうかと思っていたら、お医者様とのデートが頻繁になって整形外科、内科、歯科、眼科と順番に渡り歩いて時間をうまく(?)つぶしている、とありました。どの先生からも「お歳ですから」という暖かいお言葉をいただいているそうな。