11月26日(日)
1960年代半ば
亜紀の在籍する女子美術大学の学園祭の前夜、展示ブースの飾り付けに余念がない亜紀とエミ。
亜紀はデッサン室の1つを全部使った展示スペースに作品を飾り終えると、それまでの制作の疲れがいっぺんに出てきたような気がした。
レオナルドダビンチの人体図に触発されて人類が初めて立ち上がり二足歩行からさらに駆け出すまでをすでにある馴染んだイメージのパターンの二番煎じにならないように転んだりつまずいたりするそのあげく、駆け出すことを「覚えた」人間の進化の流れを墨の濃淡でドラマチックに表現し、八双の屏風仕立てにしたこの作品は制作中から校内の教師、学生たちからも、既にひときわ目を引いていた。
亜紀は、暮れていく夏の終わりの遠くの山影に目をやって、しばらくそうしていてから、疲れを吹き飛ばすように、我が身に気合を入れた。
そして、この制作がたった1人の男への想いから立ち上がったものである事に今更ながら驚いていた。
この作品を見てもらいたい人もそのたった1人。
「エミ、、頼んでおいたことをうまくいきそう?」
「アネキ、、大丈夫です」
「…」
「ボクが友達にうまくターゲットを誘い出してここへ連れてくるようにお願いしておきました」
「…ありがとう」
亜紀はこの作品を見てもらいたい安川籾ニの名をエミを通じて知らされた。
恋人が取られそうな予感を、亜紀に向かって口走りそうな自分自身を必死でこらえ、亜紀に寂しそうな顔を気取られないように微笑み返すエミであった。
このシーン以上。
(昨日はお誘いを受けてスープ研究会の鴨せいろ実習に参加させていただきました…おいしいおいしい…蕎麦湯がこれまたおいしいので何杯も飲んでしまいました。
手作りの鶏肉やキノコの入ったおこわのおにぎりとか…青いパパイヤのサラダとか聞いたことも食べたこともないものが出てきてびっくり。
あんな狭いところで何人もの人がひしめき合って出来上がったものがこれまたおいしいなんて奇跡です。
日ごろの悶々とした(ちょっと大袈裟)疲れが吹き飛びます。世間の疲れは世間になおしてもらう、これ基本だと思います。世間の効用。勘違いの絶え間ない上書きで何とかバランスを保つ。自意識過剰な僕がなんとか世間を渡っていけるのも皆さんのおかげ。日頃世間をさけて悶々とする疲れ(このようにオーバーに表現すると癒される)をとってくれるのも結局は世間。
年寄りの憂鬱は自然…という言葉を作ってみました。ボーンと生まれて、ご臨終デスと終わる。終わりよければ全てよし、みんなの願い。
人間は神様になって世の中におさらばする、という言葉も無理して作ってみました。なれるかなれないの問題ではない、成る。
たまにこんな予行演習をすると少しは腹が座る。
毎朝寝床で空腹を感じる…これから冬に向かいますが…腹が減っては戦はできぬので起きることになります、ぬくぬくとした寝床から起き上がる良いきっかけになります、発見、あはは。
(小さな図書館を作ってよかったです。話題になります。きっかけなんか何でもいい。タイル張りの風呂場は寒い、それだけに手作りのもののぬくもりが伝わりやすいのかもしれません)
今朝やっと本を読む気になりました…無理して読み始めたのですが…たまたま今僕がとらわれている問題、他の人と何を共有し何を共有しないか、が語られていました(もちろん僕なりの理解です)。僕にとっては自分自身が支えられるかどうかの大問題、そんなに強くある必要はないという小問題に見える中問題、小説のネタをいただくというさしあたっての世知辛い欲の小問題、、が読み始めて70ページの間に全て出てきました。
やはり本は読まなければ始まらない、芋づる式にタグっていってよかったです、出会いに感謝。今日の分のシーンもこの本から触発されたことを白状いたします↓
バージニア・ウルフ著作集4:燈台へ:伊吹知勢訳みすず書房1976年3月第1刷発行
「燈台へ」の訳者伊吹知勢という人をわたしは知らなかったので、新しい世代の翻訳者かと思って調べると、1906年生まれとのことで祖父母の世代と父母のそれの間の人なのですね。この頃古い小説を読んでいて風物・慣習や思想や言葉使いに時代の違いを感じますが、翻訳文にみる新旧世代の差を研究するのも面白そう。特に日本語の発展(あるいは後退?)を知るうえで。
キノコのおこわ、大好きです。栗おこわも。昔は渋谷の東横デパートの食品売り場でこれらをよく買ったものでした。(住んでいた場所柄、小田急線と井の頭線を使いやすかったので。)鴨のせいろといえば、昨日は知り合いの13人が集まって(うち3人が日本人女性)聖マーチンの鴨肉を食べる会をやりました。レストランは凄い賑わい、でも人気があるだけあって、大忙しのウェイトレスさんも笑顔を絶やさず。
最近出かけることが重なり、行き帰りに冬の風景を堪能しています。霧が立ち込めて風はなくて、だから風力発電のためのでっかい風車群も手持無沙汰。こんな句を作りました。
・所在無き鉄の風車の冬景色
・警笛や羊を隠す午後の霧
いちまるさんも小説の合間に句作の時間を設けて下さい。