11月14日(火)
遺言のつもりで:岡部郁子著:藤原書店: 2006年1月初版第1刷発行
昨日この本を読んでいて何度も泣いた。どこで泣いたか思い出せない。大阪弁も快い。というか…
多分、その土地の言葉は全部快いと思う、理屈ではない。
岡村昭彦が出てくる/ベトナム戦争従軍記、松下竜一/豆腐屋の四季、中国や韓国の芸術家や学者たちや沖縄の人々との交流も頻繁に出てくる。らい病や、原爆を描いたアーティストや被害者たちとも親密に付き合って、その人たちへの感謝の言葉が途切れない。まさに遺書。
2008年に亡くなっていると知った。平明で直接話しかけて来られるような語りがそのまま活字になって残っている。小さな人たち(幼児や子供)からも目が離せない人。
ぼくは著者の思い込みの激しさや親身なつき合いについていけない。うれしがり、と自分のことを言っている。それを聞いただけで幸せな人だなぁということがわかる。そーゆーわかり方なんだけど、つまりちゃんとわかっていないんだけど泣ける。映画を見ていて泣くのと同じ。僕はこの世のお客さん感覚、僕の観客感覚は多分一生抜けないと思いました。
昨日買い物の通り道で…たい焼きの大きいのを見た。わースゲー、おもしれー!と声が出てしまった。小学1、2年生の女の子2人が立ち話、その1人が小脇に抱えていたのは紙で作った魚。堂々とした作りの80センチ位はあったろうか。あんこの代わりに新聞紙が多分詰まっている。表側は生成り/きなりの茶色い和紙。僕も作ろうと思う。2本の糸で天井からぶら下げてモビール、、。紙の魚、写真を撮りたい、もっと見ていたいと思ったけど怖がるといけないので、バイバイして別れてきました。
気配を感じて振り返ると2人とも笑顔はなしで恐る恐る僕の背中にバイバイを返していたんですね、、おどろかしてごめんね…知らないおじさんが声を出して近づいてくれば、どうしていいかわからない、それはそういう反応がよろしい。初対面の人にね、うっかりにこにこしてはダメ…と学校で教わっているのね、、。
Big-A近くで、今度は、学校帰りの小学生たち数人が固まって道草を食っている。そのうちの1人の男の子のバッグから、やはり紙で作ったつやつやした絵の具を塗った黄色い立体のキリンが顔を出していた。そこそこ面白い。魚ほどではない。それでもつい振り返って見てしまう。
本来水の中にいるものが、空中に飛び出し肉の重力から放たれた…あの魚はいい🐟。ほとんど天才と言っていいつくり手、苦労の跡が微塵も見えない、そりゃそうだろう子供だもの…え?そうなのか?尚更、恐れ入りました。いいものに出会えた。ドキドキした。
(今朝、、男を作って女房に逃げられた売れない陶芸家の一人娘タミとの貧しい暮らしのシーンができましたが、陶芸家の暮らしをもう少し調べてからアップします。貧乏絵描きと同じで陶芸家もきっと貧乏に違いない、パトロンなんて、物好きなパトロンは別として、そうそう簡単につくもんじゃない、また、パトロンができたからといって良い作品ができるわけでもない)
岡部伊都子さんの書いたものは、昨日話したように私は専ら雑誌のエッセイで読んでいて、今回紹介されている「遺言のつもりで」については何も知りませんでした。1923年生まれ、私の母の世代ですね。婚約者を戦争に送り出し、その人が戦場に倒れ、戦後結婚するが7年で離婚。本の紹介文に「美しき生活者」とあって、なるほど、出版社はこういうフレーズで彼女を売り出していたのだと納得しました。
昨夜私は半村良と言う作家の短編集を読みました。この人は葛飾生れなんですね。生年は1933年、生きていれば今年90歳ですが、60代で亡くなっています。大学は行かず、高校を出て紙問屋に勤めたあと、バーテンダーなどして水商売の世界で生きながらその経験をベースに小説を書いて、やがて文壇で認められる。
登場人物にはホステスや囲い者の女性が多く、別に嫌悪感はないけれどやはり世界が違い過ぎて馴染めません。そうそう、当然ながら大金持ちのパトロンも出てくる。何だか50年代・60年代の大映や東宝の映画を見ている感じ。京マチ子とか若尾文子とか。バンプ型の淡路恵子とか。ちょっと新しいと団玲子なんかも。同伴出勤というのがあって、ホステスが宵のうちにお客と食事し、それから自分が働くお店に連れて行く。これはノルマだったんですって。
そんなお話の中で短編集の最後にある半自伝の「屋根の上のマッカーサー」というのは抜群に面白かった。何のことかと思えば、マッカーサーというのは少年時代に近所に出没していた太った猫の名前でした。幼馴染みが国会議員になったり、昔朝鮮戦争の時期に働いていたバーで知り合ったアメリカ人GIと20年後に再会してカネを貸したり、彼もまた、「いっちゃん」と同じく時代を生き抜いた人。その時代なかりせば、いっちゃんも半村さんも出現しなかった。
こうやって、いちまるさんがフォラムでいろんな話題を提供して下さるので、それをフック(鉤)のようにして掴まってお喋りする。私が日本人と会ってお喋りしたいなどと全く思わないのは、このフォーラムでのやりとりのおかげかもしれません。
あ、そうそう、風の噂が聞こえて来る程度でいい、と昨日おっしゃっていたでしょう。これ、いいな、と思って、そのあと一句作りました。
・落葉舞ふ風の噂のやさしさよ