11月8日(水)
1975年頃のシーン
亜紀は赴任した都内にある大学の新任の講師として2ヶ月が過ぎた頃、教授会に出るようにとの学長からの伝言を学長の友人でもあるベテランの老教授から学生食堂で聞かされた。
全学部の学生全部を合わせても2000人にみたない学校であったので学部別の会議ではなく全体会議であった。それでも50人近くの会議。
会議の最後にでもかるく紹介されるのかと思っていたら会議が始まる前に紹介された。異例のことであった。
まるで教授扱いではないか一介の講師なのに。
(のちに亜紀の知らぬ間に森山祥太郎が大学に多額の寄付をしていたと判明する)
新任の講師にもかかわらず、森山亜紀は注目の的だった。出席者のほとんどが「なかよし日本」を読んで出席していた、この本の中で日本の大学制度のあり方についても言及している箇所が新聞で取り上げられたせいもあろう。
(亜紀はリライトされた自分の本を読んでいなかった、出版前に物部信一が日本の読者向けに、まあ、ゴーストライターの立場で書き直した原稿を母親の森山順子に読んでもらい感想を聞いただけである。順子は、通読してみて、よく書けているなぁと感心していた。亜紀にとってはその感想だけで充分であったのでそのまま出版社に原稿を渡したのであった)
亜紀はあとで、物部信一から教授会の全員が「なかよし日本」を読んでいるらしいと聞き、違和感よりも、ゾクッとする圧迫感を感じた。アメリカにいれば誰もが感じる誰でも言いそうな普通の感想(といってもアメリカの東部地域からすれば、日本は対岸の火事どころか太平洋に渡るためにはまずはアメリカ大陸横断をしなければならないほどの距離がある、そこから見える風景は、高校大学と5年間暮らし、少しは日本の風景にも馴染んでいる青年の感想を出ていない)…それにもかかわらずブームとも言えるほどのベストセラーになってしまった…この不思議。冷静に考えれば亜紀自身も意識していなかった、日本に対する「自由に見える閉塞感」を書き連ねただけのどうと言うことのない本、いわば感想文といっても良い内容でもあるにもかかわらず、なぜ日本の知識人が群がるのか…物部信一に聞くと、アメリカ崇拝が教授たちにも蔓延しているだけと笑っているばかり。
(亜紀は物部信一の説明に全く納得がいかなかった。ほんの数年前まで日本の学生運動として生々しく伝えられたあの大学紛争はどこいったのだ)
亜紀が任された社会心理学コースを取った中国人留学生ミンを見ているといっそうのこと教授たちが夢の国の人間に見える。
ミンは文化大革命から逃れるように日本にやってきて、身の回りの全てを疑ってかかっているように見える留学生。むしろそれが正常であると思える亜紀には、知っているはずの日本が、遠のいていくような気がして軽いめまいを感じた。
もちろん教授会に出席するだけでそのように理解できたわけではない。
学校に馴染むにつれ学生たちを見ていて教授たちに感じたものと同じものを感じていたが、自分がすでに正気を保っていないのではないかとも疑っている。
同僚の物部信一が頼りだった。
物部信一、父親は著名な言語学者。母親は、戦後まもなく立ち上がった月刊「女時代」の創業者の片腕として勇名を馳せた女丈夫。そんな家庭に育った一人息子。将来は約束されたと万人が認める、いわばサラブレッドのお坊っちゃん。
思いつきで出版した本が、ある意味、大学にポストを得るための通行手形のようなものだった。
しかも当初は、販売に勢いをつけるために策を弄したかもしれないがその後、じわりと評判が広がり増刷につく増刷でちょっとしたブームになっていた。
本の題名につられて買った読者の中には、本の内容が日本人に対してかなり辛口の提言に満ちていたが洗練された語り口の文章と相まって、早くも信奉者さえ現れ始めていた。
みんな自分のサイズでものを言っている、教授会はいかにも日本の縮図であった。まるであらかじめシナリオができているようだ。
何のための教授会なんだかわからない。時間の無駄だと亜紀は最初思っていた。
そうでは無いのだ。この無駄な時間こそその場の「場」を共有するための時間帯なのだ。「場」はまとまらなくてはならない。ABC案が出される。結局場を醸成した当初の目論見通りB案でまとまる。
こんな茶番が毎度繰り返される…時間の無駄だ。自分の仕事をしていた。指名されると、何とか繕って、意味ありげな単語を並べて結局何も意見を言わなかった。信一のサジェスチョン通り。
それでも大学の職員会議では亜紀が末席に張り付いているだけ、そこだけスポットライトが当たったようにある種の緊張感が集中していた。まるで学長と対峙しているような配置。次期の学長を狙っている〇〇が目をつけないわけがない。いつの間にか亜紀は〇〇派閥に巻き込まれたような形になっていた。
さすがの物部信一もそれが何故か、亜紀に解説を求められてもすぐには答えられないでいた。
次期学長を狙っている〇〇は亜紀と懇意と見せかけて、その度量の広さを見せつけて人脈作りに利用しているだけの話だ、落ち着け亜紀、と亜紀は無理に笑おうとして顔がひきつった。
もちろん亜紀はいつものように誰とでも通距離を保つ作戦は崩していない。フリーハンドは私にある。1人の力がみんなの力になる、、それが結局時代を動かして行く、自分自身が捨て石になってもいい、男に聞かせたい誠にあっぱれな亜紀であった。チャンスに我が身を投げいれて、後を振り向かない生みの母親、千枝の気性をまともに受け継いだ亜紀であった。
焦る必要はない。好機は気長に待っていれば向こうからやってくる。ここはアメリカではない、物部信一に言わせれば特殊な国日本。日本には日本の独自の文法がある。信一がそれを教えてくれた。全部を理解したわけではないけれど私の考えを敷衍するためには、今は物部信一に従う。私のわがままは封印しなければならない。雌伏のとき。
それにしては目立ちすぎる亜紀であった。放っておかれない亜紀であった。
物部信一は、今は「実績を積む」、まさに官僚の習性を手本にすべき時、と亜紀にチャンスをとらえて伝えていった。軍師、物部信一。
物部信一は亜紀に結婚を申し込んだ。物部が思っていた通り…亜紀は即座に承諾した。
それにつけても意思決定までにとてつもなく長い時間がかかるような日本の社会でこの派閥の動きは何という速さだろう、その手回しの良さに亜紀は呆れていた。これが世に言う根回しだろうか?
(※教授会のシナリオ通り?の会話の応酬、その後の推移を予測させるような会話のやりとりを後でつけたすこと)
物語の展開テンポが勢いを得て、エキサイティングになってきましたね。教授会、学長のポスト…ちょっとだけ分かります。私が以前親しくしていた女性が、アイビーリーグの大学で博士号を得た後さる女子大の学長になり、私は大いに期待していたのですが、4年で消えてその後の消息も分かりません。後任は穏やかそうな、全方位外交ができそうな女性。私の友人は会社社長の娘だったこともあり、自信家でかなり大胆な人だったから、「あ、やられちゃったのね」と思いました。
そうなんです。東海岸からは日本は遠いのです。そこのエリートたちが見ているのはむしろトランスアトランティック、大西洋の向こうの英国や欧州大陸でしょう。昔、と言っても35年ほどの昔ですが(それでも3.5昔)、それまで西海岸しか知らなかった私がロサンゼルスからニューヨークに飛んだとき、つまりアメリカを横断したわけですが、機内から見下ろした景色に圧倒されました。山脈あり砂漠あり大河あり、広大な平野、そして大都会。この国は世界の多分4分の1くらいの縮図なのだ。世界の他の部分が隕石だか核爆弾だかで全部破壊されても、アメリカはアメリカだけでやっていけるのだ。だから国内の石油もガスもできるだけ温存し、再生可能な、つまり尽きることを心配しなくていい農産品の輸出に注力しているのだ。生き残りの戦略、立派なものです。
それに比べて日本は、なんて言いません。日本には日本のやり方、その通りです。ある時期「日本特殊論」と言うのが流行しましたが、それは主に米国の学者が言い出したことに日本のインテリ層が乗っかった感じで、それも日本らしい。でも米国人がどれほど優秀でも内部からの分析はむずかしい。さあ、ここからは日本人自身が分析しなくては。