11月5日(日)
1960年後半 アメリカ、ボストン
(日本の女子美大の2年生だった亜紀は突然中退し、アメリカに渡り約半年後出産、出産後ややあって、両親の勧めと、祥太郎のアメリカの仕事仲間のつてでボストンにある英国の伝統を色濃く残す女子大学の2年生に編入する。結果的には5年ほど日本の高校、大学に留学していたことになり、アメリカを五年間留守にした亜紀にとって古巣に戻ってきた感覚も少し感じていた。
ケネディーが凶弾に倒れ、世界中を揺るがせ、ベトナム戦争は拡大、日本やアメリカの大学紛争も毎日のように新聞をにぎわせている。
亜紀の通い始めた大学にも世間の喧騒は頻繁に伝わってくるものの学生数1000人規模のプロテスタント系大学に騒然とした雰囲気はない…むしろキャンパスはのんびりした気風が漂っていた。ミドルクラスより上の家庭の子女が多い。
亜紀は大学の近くの賄い付きの幾部屋もあるアパート形式の1部屋を借りていて、食事は管理人兼大家さんが用意してくれる。
アメリカで出産した安川籾二との子、翔(かける)は順子に任せきりなのは、気詰まりではあるものの、正直言うと…自分の産んだ子でありながら、いとおしさの点でしこりが残っている、つまりそれほど可愛くない。そう思おうとしている自分には気がついている。世間の目をくらませるためとはいえ生まれてすぐ、自分の娘、翔を祥太郎夫婦の養子(翔はアメリカで生まれた時点で二重国籍取得)にしたことに後ろめたさがあり自分のしでかした行為の意味が整理しきれていない歯がゆさ、後ろめたさに目をつぶり、両親に甘えてアメリカの大学生活を始めている自分。
冷めた目で自分自身を見れば、男をレイプした女、心の整理がつかない方が自然、一生背負っていかなければならない十字架。
両親の苦労に報いるためにも今度ばかりは勉学に邁進する覚悟であった。社会学部の心理学コースを取ることにしたのも謙虚に自分自身の心と向き合いたいと思ったからこそであった。
初めてプロフェッサー〇〇の授業に出た時は…亜紀はこの学校に来て良かったと心から思った。
〇〇は授業の最初にこういったのだ…この中で自分は人種差別したことないと、思う人は手を挙げてくれませんか?講義に出席していた二十数人中、勢いよく手を挙げた者一人。恐る恐る手を挙げた者一人。
〇〇は挙手した彼女たち二人を交互に見つめてにっこりもうなずいた。グゥッドGood、、。
〇〇は…僕は…差別をしたことがある、そして今もしていると思う、とポツリと漏らした。
亜紀は、キャンディッドcandid/率直な人だなと思った。このクラスの皆も信頼できると思った。差別は普通に存在する紛れもない日常であったのだから。
そこにはプロフェッサーのアシスタントもいた。黒人男性だった。〇〇はジョン・クワナベを紹介した。育ちの良さを示すゆったりとして、なんとなく安心感を感じさせる黒人男性。亜紀と目が合った。プロフェッサー〇〇はクラス全体の動静に早くも手ごたえを感じていた。
授業は2人でやりますとプロフェッサーは言った。ある種の緊張感がクラス全体に走った。亜紀は授業は刺激的になるなと予感した。
なるほど公民権法は1964年7月2日に議会で成立した…。法律が通ったからといって、誰もが素直に受け入れたわけではなかった。
それでも、まさかそれから50年後も後をひくとは当時、誰が予想したろう。
アメリカには名門女子大として知られるセヴン・シスターズのグループがあって、全て東海岸です。亜紀が入学したのも、ボストンの英国風の大学。なるほど。セヴン・シスターズの中にはたとえばラドクリフ・カレッジのように今では男女共学の大学と統合されてしまったものもあります。この女子大の名は、映画「ある愛の詩」でヒロインのジェニーがここの生徒で、身分違いのハーバート大(ここが後にラドクリフの統合先となる)の学生オリバーと恋に落ちるという筋書きですっかり有名になりましたね。
これらの女子大の卒業生を見ると、歴代大統領の夫人つまりファーストレディがずらり。ケネディ夫人のジャクリーンはヴァッサー大学、ヒラリー・クリントンはウェルズリー大学、ナンシー・レーガンとバーバラ・ブッシュはスミス大学など。
かく言う私も女子大卒ですが、昨今はどの女子大も生徒がなかなか集まらず、入学試験をやさしくするなどいろんな策を練っており、しかしそれでは結局レベルを下げてしまって大学の魅力を失わせることになるので困っています。学部を増やしているところもありますが、それなら男女共学校に既にある学部に行けばいい。
私の意見では、もはや女子大の時代ではないと思います。良妻賢母を求める男なんか今は化石みたいなもんだし、共学校もひと昔前と違って女子の就職先の面倒もよく見てくれるし、どう頑張っても時代遅れ。亜紀や私の時代とは違います。
ちょっと話がずれますが、このところ女子大を悩ませているのは、例のジェンダーの問題でトランスジェンダーの女性をどう扱うか、ということらしい。特にトイレの区分に困っているようですよ。だからさっさと共学の大学と統合してしまえばいいんです。