11月4日(土)
(びすこさんの助言もありなるべく年代を示すようにします、、)
1970年代半ば
亜紀は習慣となったフィールドワーク感覚で、会える人には会っておく習慣をこなしていた。社会学専攻の学生のノリ。日本人って面白い。
あまり気は進まなかったけれど…わざわざ時間を割いて出版社の人間と会うために新橋の格式ある料亭にいた。亜紀は30歳になっていた。
ボストンの大学の慰留にもかかわらず、亜紀は住まいを東京に移している。前の年に出版した「なかよし日本」が好調な売れ行きを見せ、森山亜紀はちょっとした芸能タレント並みの扱いを受けるようになっていた。
新橋の賑わいから少し離れたその料亭で、亜紀の本の出版社のPR担当の男2人に「なかよし日本」の続編出版を持ちかけられた。あまり乗り気にならなかったその打ち合わせの後、ひょっこり現れたように(最初から仕組まれていた)通産省OBの八木山三を紹介された。
八木は当時の典型的な天下りポストの民間企業にたまに出勤する、いわばいい身分の老人だった。出版社の2人と別れた後、亜紀は八木が行きつけという雑居ビルの中の名の知れた銀座のバーに誘われた。亜紀はあっさりそれを断り新橋近くのホテルのバーに誘い直した。面白いネタをちょっと拾ったら後はけむに巻いてしまうつもりだった。
ホテルのバーはやはり落ち着ける、バーテンダーとも亜紀はすでに顔見知り。八木は70歳、早くも好々爺といった感じ。狸親父の感じはない。
亜紀は祥太郎の美術品商ビジネスを子供の頃から見ていて、その世界の裏取引を直接立ち会わないまでもやっていることの胡散臭さは充分承知していた。若くても侮って欲しくない、人を見る目が他人よりも上と自覚している(亜紀は心理学専攻)。
八木老人の誘いに乗ったのも亜紀にとってはその「胡散臭さ」がどの程度のものかフィールドワークの一環のつもりだった。
「森山さん、、こんなじいさんに付き合って下さってありがとうございます。ご本拝見しました…いやー感服しましたね、、」
「〇〇出版の〇〇さんにすっかり乗せられて、あんなタイトルの本を書いてしまって後悔しています…」
「いえいえ勝てば官軍です、、」
亜紀は色ボケ爺さんでないことを確認し、単刀直入に何かお話ございます?と聞いてみた。このご仁、亜紀の大まかな分類で「勝ち負けが全て、の人」。
「人間は賢い豚ですね。かぎまわっておいしい餌にありつく豚だと思います、その豚の1人が私です。私自身特に自分自身を卑下しているつもりはありません。
官僚として、上り詰められなかった後悔もありませんし、今日こうして売り出し中のお美しい方とお話ができる幸せは、僕の一生の思い出です。貴重なお時間ありがとうございます、、」
官僚には珍しく如才ない。
「貴重なお時間なので手短に申し上げます実は…私の息子は〇〇テレビの副局長をしておりまして…」
八木はそこまで一気に話し、バーテンダーから差し出されたケンタッキーバーボンの水割りの2つのグラスの1つを取り、慣れた手つきで軽く口にした。
タレントになりませんかと言う誘いだった。新しく始まる予定の今でいうバラエティーショーのベテランのアナウンサーの相手役の打診だった。
亜紀はこの話、裏をとって検討する価値があるかどうか瞬時に判断した。
亜紀は大げさに驚いて見せて…隣の外人カップルが振り向くほどにアメリカ人ぽいシュラッグ(とんでもないという意味で両肩を上げ両手を開いて、お断りサイン)をしてみせた。
その後、自分のようなものにこの話を持ちかけて下さってありがとうございましたと、お礼と無礼をないまぜにしたような言葉をかけ八木に花を持たせて支払いは八木に任せた。
八木はやはりエリート官僚であった。「小娘が、かっこつけやがって、何様だと思ってやがる、、今に見ていろ、くそ!ほっといちゃタメにならない」と舌打ちした。このままではこの勝負負け。八木ははらわたが煮えくり返って後ろ姿も見送らなかった。八木にとっては長い人生のうちで初めてと言っていいほどの大きな屈辱。
喜んでペコペコ頭を下げてくると思ったのに、手のひとつも握らせない、と八木は憮然とした表情をくずせない。あわよくば遊ばせてくれる女と見くびっていたと、反省する回路は持ちあわせていなかった。
(亜紀は、同じ頃日本の某大学から講師にならないかと誘いを受けていたこともあり、亜紀は亜紀で有頂天気分であった)
(やっと1人めんどくさい人が出てきましたね…ご経験ありませんか結構めんどくさい人…あはは🤣)
めんどくさい人、そういえばいましたね。仕事で、お役人にも、企業や団体の結構なポストを手にした天下り部長さん・理事さん等たくさん見ていますが、彼らは良い大学を出て良い地位についたものの、いくらキャリア組でもトップにまで上れる人は限られているし、どの官庁でも同期が次官になると辞めなければならないという慣習のもと、「俺たちの人生は55歳から(そのあといろんなところを回って退職金を三度くらいもらって、人生オシマイ)」と早くから準備怠りない。
公僕-民に使える-これほど皮肉な言葉はありません。仕えさせるのが彼らの腕の見せ所。八木さん、バーの支払いを引き受けただけでもえらい。国家公務員と言うのは、まず自腹をゼッタイと言っていいほど切らない人種だから。もっとも、支払う額の見返りが100倍・200倍なら別でしょうけど。
彼らも厭な奴だと思いますが、その息子・娘が親の威光を借り、さらにそんな親を自慢するのがもっとムナクソ悪い。家庭で、学校で、社会で、一体何を学んで来たのだろうと不思議な気がします。いや、所詮は本人の生まれ持った資質がお粗末だったということでしょう。
何だか、仕事を辞めて20年余りのちのうっぷん晴らしみたいになっちゃった。