11月3日(金)
小説の未来シーンは、それこそいかようにも展開できそうな気がしますが、さにあらず、意外と現実感を出すのが難しい。介護現場も同様で…残っている機能を極力生かして本人のプライドを保つ立場、あるいは「便利なもの」をフルに使って効率化を図る立場…この辺で介護を受ける方の立場からも多分、二通りの人間に分かれる。
今思いついたのは… AD L/日常生活動作の補助器具類のAIとの共存だ。本人の選択に任せる。選択の余地がある…判断を出来る限り本人に任せる。本人の機能を残すためにリハビリに精を出すことが本人のためになるというのは介護側の言い分で、正当性もある。
その一方で自分が楽ができるのだったらそちらを選択して、自分の趣味に没頭したい人だっているだろう。
そうだろうと仮定して…近未来社会を描くことにする。
例えば…と書き出そうとするといちいち迷う。これが近未来の現実としてスケッチ程度で描いてゆくのさえ、それは「現実」として認識されるので結構ドキドキします(人間が想像できるものは現実化する)。
例えば排泄機能がかなり落ちてきた場合…「便利なもの」にお尻を突き出した場合…着衣していればゆるゆると脱がせてくれる、、その後その便利なものが本人に接近して掃除機みたいに内容物をそろそろと吸い出してくれる、、
僕の予想では多分実験段階を過ぎていずれ実用化されるかもしれないと思っています。この辺で賛否両論が湧き上がるべきですが、、僕はこういうことについてももし議論されないとなれば…世間は悪い方に傾いていくと思っています。
本人の残存機能を最大限生かすという点からは本人の判断に任せるという選択肢も必要だということが確認できました、この辺の将来の心配を今していく必要がある(世の中はいつだって暴走する危険に満ちているから)。
人間をせき立てて戦争に突っ込んでいった日本、ナオミクラインが描くところのショックドクトリン(他国にわざと騒動を起こしてそれをテコに社会改革する)を使ってきたアメリカ…今も油断すればすぐ横行するような気がします
ぼくのほうもそろそろ、この小説のずっと先のことになりますが…亜紀と翔(この2人実際は親子なのですが…訳あって(祥太郎家の社会的体面を保つことがその理由の1つ)戸籍上は歳の離れた姉妹ということになっています)の対立の構図を固めていかないと… .いつまでも、びすこさんや数少ない読者の方に登場人物の関係図を示すことができません。
(今日はシーンが固まらなかったので、よもやま話でした、これからは、この手も使ってお茶を濁していきたいと思います)
(今日は甥っ子の1人会って兄のサポートについて話を調整する。
ところで、兄は新し物好きなので、便利な介護器具は積極的に使うような気がします、多分僕も…あはは🤣)
なかなか刺激的な物語のようなので、年寄りとしては濃い味付けの物の間に、シャーベットみたいなあっさりした「箸休め」(フランス語で「アントレ」とかいうの)があってもいいから、こういうよもやま話も歓迎です。介護の話題はこのフォーラムを読む大抵の人にとって関心のあることでしょうから。
介護される人もプライドを保つ。これはかなり大変ですね。機械的・事務的にできることはいいけれど・・となるとやはりAIの出番でしょうか。こちらではよく、尊厳という言葉が使われます。英語でいうdignity。ただ、私がドイツ人の話を聞いていてオヤと思うことが多いのは、尊厳の定義というか範囲が日本人とは若干、いや、かなり異なる部分があって、はっきり言うと「我儘」「身勝手」も弱者の尊厳と解釈されることがあります。人様の世話になるのだから自己主張は控えめに、というのは日本的なんですね。
病人や年寄りはどの国でも似たようなものでしょうけれど、やはり文化やメンタリティの差は最後の最後まで残る。こちらの友人が先日、ドイツにある日本人(特に女性)のためのいろんな組織を紹介してくれて、ドイツ東西南北の主要な町にはドイツで老後を送る日本人を支援する制度があるので会員になるといい、というのですが、私はやはり日本で最期を迎えたい(夫が先に逝くという前提ですけど)。それで、こういう話題にえらく熱心な日本人女性たちとの会話に乗れず、ちょっと困っています。