10月30日(月)
昭和が私を作った…誰あろう、びすこさんの発言です、名言。
僕も上乗せして何か気の利いたことを言いたい、、登場人物が小説を作る、と言ってみれば…結論…
登場人物をその時代におけば、小説は勝手に物語る。
例えば…
昨日の場面でざっくりと設定したニューヨークでの祥太郎一家のありさま。
亜紀はニューヨーク郊外の自宅の近くの小学校、中学校と通うことになる。利発で運動神経抜群とくれば…空手、バスケットボールといくらでも活躍の場が出てくる。のびのびと活躍できる状況がそのまま続くわけがない。教師とも友人たちともいざこざは向こうからやってくる。
さらに祥太郎一家のまかない婦、戦争未亡人、ダテに未亡人やっているわけじゃない、戦争が終わって10年たっても夫のことが忘れられないような一途さ?(意地悪く…未亡人でいられる…つまり自分の欲望を封じ込めて)の未亡人と順子、意気投合するのは時間の問題。カソリックとプロテスタントの違いはあっても、親交が深まるにつれ勘の良い2人、どう落とし前?をつけるのか、もうこれだけで別の小説が書けそうだ。
(新婚間もなかったを夫を奪った日本人憎し、の自分の感情をどこかで断ち切るために(そう意識していたかどうかにかかわらず)あえて日本人家庭に賄い婦として飛び込んできた彼女、どうなっていくんだろう)
この問いかけは、小説は誰にでも書ける(書く気が起こるか起こらないかそれだけの問題だ)と僕が最初に仮定した、とりあえずの自分自身への回答でもあります。
小説は誰でも書ける、人物を設定すれば後は時代が勝手に人を動かして行く。
(一昨日、兄が入院してリハビリを受けている病院へ行った。ヒゲボーボーの兄のヒゲを剃りに行ったのだ。人の髭を剃るなんて初めての経験。
面会時間に顔を出すと…兄は、さっぱりしていた、誰かがそってくれた?自分で剃ったのだと言う。
僕はニコニコしながら(つまり安心してもらうために)頼まれていた飴玉の袋を2、3種類並べる。出された袋、にはあまり興味を示さない兄。それとなく探っていくと…なんと施設行きを了承していた。
兄と別れてから…甥っ子たちにその旨伝える。帰宅する電車の中でまるで一瞬にして急展開した状況を何度もかみしめる。同時にスマホで、今後の展開について、思いつくままに「To Do リスト」/やることメモを甥っ子たちに送る。
小説も身の回りも、僕の思惑とは別に勝手に動き出す)
え、私そんなこと言いましたっけ。無責任発言? 自分の言ったことに責任を持て? 記憶にないので責任は持てませんけど、言った内容は間違っていないと思います。
昭和って1989年の1月7日で終わっているんですが、これはどうみても日本政府だかどなたかの都合で、本当は昭和天皇は12月に亡くなっていたのを、年末に年号を変えるといろんな不都合があるので年明けまで待ったということなんでしょ。国民としては別に構いませんけれど。(実のところは、昭和は1926年12月25日に始まっているので、1989年12月15日に終わるとちょうど63年の御代だったことになりますが、それではあまりに人工的だと思ったのでしょうか。)
で、昭和はとにかく正味63年、終戦が昭和20年ですから戦後生まれの人は昭和の3分の2を生きたことになります。そのあと、平成生まれの有名人が現れたときはちょっとしたショックでした。私の若い頃には、東京オリンピックが一つのマイルストーンで、「え?オリンピックの後で生まれたの?」なんて驚いていたものです。あと10年もすれば、令和生まれのタレントや歌手が出て来るんでしょうね。それまで生きているかどうか。
お兄様とのやりとり、いちまるさんのニコニコ対応で思い出したことがあります。母が60歳の時に市役所から初めて敬老の日の案内が来て、彼女は「年寄り扱いして!」とぷりぷり怒っていました。そのあと65歳になっても行事には参加しませんでしたが、70過ぎて初めてちょっと顔を出したそうです。その感想を聞くと、いろいろ親切に話しかけてくれるのだけれど、子ども扱いみたいで煩わしい、といって不機嫌な顔もできないし、気を遣うのは厭だから(こっちとしては「え、あんたでも気を遣うことあるの?」と言いたかった)もう行かない、と言っていました。それで作った句があります。
・笑むことも義務とはなりぬ敬老日
現在の日本のみならず世界的にDemography(人口学)というのは大きく変わっているので、成人の日とか敬老の日というのは不要だと私は思います。選挙権も今は18歳からなんですって?老人は今ものすごく多いから、敬老の日の催しにはたくさんの人を招かねばならない。自治体の負担も増える。どうしても、というなら90歳以上とか。いや、そうすると付き添いが大変。時代について行ってないことがありすぎます。