10月27日(金)
大学の工学部に籍を置いていた尾形は科学の力を信じる学徒であった。もともと画家志望であった尾形が工学部に進んだのには訳がある。軍人の家庭であったのだ。長男の尾形は家のことを思えば他に道は取れない。
画家など、男子たるもの一生をかける仕事ではない、家名を汚す。結局、画家になる夢は捨てた。一族郎党の有言無言の圧力の前に尾形はなすすべも思いつかず断念するしかなかった。それでも軍人の父親は尾形の保身のために軍人の道を選ばせず工学部を勧めた。
大学で尾形はすぐ指導教官の目に止まった。航空機の翼の形状に関するデザインから実習までその指導教官は、他の学生を差し置いて傍で見ているとまるで尾形につきっきりで持てるものを伝えているように見えた。
教官は尾形の能力に注目したわけではない。尾形の目に学びに対するひたむきさを認めたからだった。面白いやつ。授業中にもメモは一切取らなかった。たまにノートに何か記号のようなものを書いている。教官は尾形の頭の中に自分がしゃべった内容を整理して全て記憶されていることを直感した。
実習をやらせてもうまい。翼の曲線を描くのに墨壷から墨を含んだ糸を引っ張りながらその墨糸を数メートル先に止めピンで固定する。そうしておいて墨糸の中ほどを指で斜め上方につまみ上げ、指を離す。大きな木型の上にその糸が緩やかなカーブを描いたまま瞬間的に木型の表面にそのカーブが写し取られる。
単純なその作業にも「勘」は必要。習熟するとともに、尾形はその曲線を数式化した。
指導教官は学生たちに航空機製造の現場を見学させた。
大型モーターの回転力をプーリを介しベルトで何台もの旋盤に伝え、1台1台の旋盤に勤労奉仕の女子学生たちが髪の毛をハチマキできっちりとめ、慣れない機械操作に一心不乱に航空機に使う部品を作っている。尾形には工場全体が部品を吐き出す生き物に見えた。
そんな実習と勉学の日々は突然遮断される
指導教官との関係もお互いの癖を飲み込む位まで親しくなった矢先、肺病が発覚した。
最近まで、子供の進路は親や家族の意思で決められるのが普通でしたね。今もそうかもしれません。高等教育で何を学ぶかは、家業とか親の職業に左右される。あるいは親の見栄で敷かれたレールを進まねばならないことも。
文学部なんて親が男の子に最も望まない学部で、遠藤周作は医学部へ行けという父親の命令に背いて学費支援を止められるし、北杜夫は斎藤家の養子だった父親への配慮からか一応医学部に進むけれども、結局は作家になる。二人とも芥川賞を受賞したのは、親兄弟から文学の道に進んだことを認められるために必死だった努力の結果かもしれません。
いずれ一家を養っていかねばならない男子には、潰しの効く分野を学んでもらわねばほとんどの親は思っていて、私のように結婚の見込みの薄い娘についてもそれは同様でした。潰しっていうの、この場合金属を潰して溶かすことで、何かで使えなくなった金属でも溶かしてまた再使用できれば、それが潰しが効くということなんですってね。
お嫁に行けなくても何とか自活できたから、私も潰しは効いたんでしょうか。潰しが効くはずの学部に進んだ息子が親の援助を必要とし続けたのも皮肉です。親ってバカね。