10月14日(土)
昨日の早朝… PCを開き、ドキュメントを開き、いらないドキュメントを次々と削除する、1つのファイルにテーマごとにドキュメントをまとめる。
ま、乱雑に散らかった机上の整理です、捨てたりまとめたり、まぁいらないものがほとんど。ゴミを捨ててまたゴミを作る、あはは🤣
食事を済ませ、8時半オープンの川口市役所市民税課へ。委任状を提出し兄の課税証明書ゲット、リハビリセンターに寄り入院手続きを完了させる、、いい運動になりました😅
家に戻ったのが1時…帰宅せずに途中の中華料理屋さんでニラレバを食べました。肉体労働をしているときだったら、ここの店の、他所の店の倍の量のニラレバも平気でこなすのですが今はちょっと努力しないと難しい。
山盛りのご飯をおかずにして超山盛りのニラレバを崩し崩してゆく。途中でうわっぱりを脱ぎ何食わぬ顔で食べ続ける。
食べながら…戦後の闇市で得体の知れないものでも飢えを満たすために、腹に詰めていたであろう状況を思い出しながら…この状況はなんと贅沢なことだろうと、戦後まもなくの時代に戻っていました、、、これからきっと…日常生活と小説の中の日常生活がダブっていく生活になるだろうと思います。
祥太郎は新宿の闇市の雑踏の中で得体の知れない具のすいとんをかき込みながら、このうずくような熱気は何なんだと、食べ終わっても満たされぬ空腹感に丼を地面に叩きつけたい気がした。
などと頭の中のシーンで登場人物の気持ちを書こうとして…違うなぁと思う…頭の中を書くよりは状況書き連ねる方が、読むほうは楽に違いない。読み手の作業もあるのだ。その辺の分業の塩梅がわからない。結局自分の頭の中からは抜け出せない。それでもとりあえず書き始めよう。
どんな状況をも、「日常にしてしまう」ことを始めようとしているのだと思う、高ぶることなく「状況」に影をつけ、スポットライトを当て人物を浮かび上がらせる…すえた臭い、硝煙も、言葉に頼ってシーンを置いてゆく、そうすることなら僕にもできる。
地下道に肩寄せ合って通り過ぎる大人たちを見遣る薄汚い浮浪児たちさえ、消えてしまいそうな命の灯に全存在をかけて訴えている、救ってくれる手がないことを知っていて、明日をも知れぬ命だというのに、空腹のまま夜が明けて生き延びれば、そっくりそのまま身を投げ出している餓鬼ども、そうするしかない、目の前の今日。
祥太郎は虚を突かれて途方に暮れるどころか大きな空洞の中に自分自身が入り込んでしまったような迷子の自分のまま、すくんでしまっていた。
こいつらの目はなんなんだ、すべてを見破っている目、何も期待していない、明日はどうなるかもわからない
目の前の敵はいなくなった代わりに、無視される人間たち、俺もその一人。
戦争は終わったのではない、始まったのだ。戦争体験すらしていない俺は…そこから始めるしかないのだきっと。
俺は戦場で一人の敵も殺してはいない…戦場で俺の友人たちは人を殺し自分さえ殺してしまったというのに。
誰が人を殺したいものか。人を殺すとはどういうことなのか。殺していないと言う事はどういうことなのか。
俺の戦争はいま、始まったばかり、、祥太郎はどこを歩いてるのかも知らず、目的もなく新宿の路地から路地をしゃにむに歩き続けた。
(こんな嘘っぱちに人はついてこられるものだろうか?)
戦争の話。私たちの世代は戦争を経験していませんが、戦争から帰って来たばかり、とか、兵役をぎりぎりで逃れた、というような父親から生まれたわけなので、間接的ではあるけれど、戦争はそう遠い話ではありませんよね。
今年9月半ばに夫の大学同期会が開かれたとき、もうかなり少なくなった出席者の一人の奥さんと話していて、彼女のお父さんが、私の義父(夫の父)と同じく戦死していたことを知りました。1944年生まれで、多分親を戦争で失った最後の年代ということになります。お母さんの再婚相手がとてもいい人で幸せな人生だったと言っていましたが、こういう世代もやがて…たぶん15年もすれば消えてしまうと思い、そういう歴史を持つ子供たちと日本では話す機会がなかったのに、ドイツに来て同じ敗戦国の人から直接に思い出話を聞くというのも異な縁だなと思いました。
そういうことって、どこかで糸を引っ張っている全能者でもいるのか、これまたいもづる式に繋がるエピソードが出てきます。
ご存じでしょうがネットでは海外在住者の日本人によるブログは凄く多くて、はじめは自分の状況も考えて面白がって読んでいましたが、そのうち興味を失くしてしまいました。その中で引き続きときたま読んでいるブログ、これは目下在外ではなく日本にいる女性のブログなのですが、旦那がモロッコ人の父親とフランス人の母親とのハーフで、もと北フランス暮らしだったのが、そのうち子連れで東京に戻って看護士をしている人の日常話が漫画を交えて綴られています。
病院での奮闘記も、ガイジンの旦那との波乱万丈の暮らしも面白いですが、先日の話では、小学生の長男が音読練習をするように言われて持ち帰った物語をどうしても読む気にならず、母親が困ったということでした。その物語の題が「ちいちゃんのかげおくり」。それを見た母親も「これはトラウマになる」と悩み、傍らの半フランス人の旦那が「歴史の勉強は大切だから」と音読させる宿題への協力を申し出るのですが、こちらも大いに悩んで「あのさー、あれいつまでも聞かないといけないの。なんかフランスで習う戦争話のタイプと違うし、フランスはまだ最終的に勝ったから救いがあるけど、日本は最終的に敗戦していると思うとほんとに救いが無さ過ぎてつらい」と言い出す。
よく日本でも、戦争の記憶を風化させてはいけない、と先生方やPTA(これ、今もある?)が子供に戦争話を読むことを強要するようですが、その意図は正しいと思うものの、私たちの世代と違って、あの戦争と今の暮らしの間にギャップがあり過ぎる。現代の子供たちも、そういう悲劇を読んだり映像で見たりすることへの耐性がない。遠すぎ、残酷すぎ、まさに悪夢のような話なんですね。
欧州では宗教改革が巻き起こした紛争の延長で1618年から1648年まで30年戦争というのがあって、戦争の中心舞台となったドイツは人口の3分の1(一説には半分)を失うのですが、そんな話を20世紀生まれの人間が聞いてもピンと来ない。それと同じ感覚かもしれません。
一つには、これは想像力の問題でしょうが、私の説を聞いていただけるなら、20世紀の最期の4半世紀(頃)からやたら映像がのしてきてすべてが「見えるもの」、いや「見せられるもの」になっていった。普段の生活ではラジオからテレビへと移行するとともに、新聞よりも写真雑誌、小説よりも漫画・劇画・アニメ等の流行により、文字を読んで自分の頭の中で想像して独自のイメージを創り出す、ということが不要になり、遂にはその能力が失われていったことが、人間の想像力を貧しくしているように思います。
今日も長々ごめんなさいね。
お口直し(にはならないと思うけど)ということで今日の駄句。こちらもとうとう本格的な秋になり、庭の花もフィナーレを迎えました。一昨日には残る薔薇を摘んで挿し、last roses of summerということで、お別れの一句。
・棘さえも愛し最後の薔薇を摘む びすこ
(写真はピンボケですが、年とるとソフト・フォーカスの方がありがたく、これは多分晩年(?)の花も同じでしょう。)