(昭和30年代頃の私の思い出)
浅草花柳会があり向島花柳会、おまけに吉原の歓楽街まてある土地柄もあり、父に連れられて行った材木商の祝賀会にはよく芸者さんが呼ばれていました。私は芸者さんの日本髪に挿されている稲穂のかんざしに憧れていて、大人になったら芸者さんになるのもいいな、そして髪には稲穂がいいなと思っていました。稲穂のかんざしは松の内の間だけに挿す縁起物です。そんな子どもであった私はたいへんにませていたと思います。
実家の事務員Qさんのことを思い出しました。Qさんは色白でふっくらとしていて、仕事中はいつも着物でした。少しハスキーで玉を転がすような声で話す素敵な方でした。物腰が丁寧なQさんは私を大変可愛がってくれました。
Qさんは実家と取引のある中堅の建設会社の若き常務さんと恋仲でした。小学生の私でも分かりました。常務は家庭のある方で、道ならぬ恋と言うわけです。2階の和室で母が相談に乗ってあげていました。
「好きなんだからどうしようもない」と涙を浮かべ母に打ち明けるQさん。私は階段をきしらせながらのぼっていって聞き耳を立てていました。
(またあるときには、大工の女将さんがえらい剣幕でやってきて、「ちょっと奥さん! うちの父ちゃんが浮気してるのよ!」なんて声も聞こえました。こんな具合ですから耳年増な小学生になってしまうわけですね)
Qさんの家は言問橋を渡った隅田川沿いにありましたが、入り口には、当時よく見かけた格子戸もなく、ちょっと寂しく感じました。
(下の写真は昨日の記事に出ていた昔の隅田川の風景です)
名前は聞いたことがあるような…見たい番組があるときはテレビがある家に子供たちが集まって、そこで見ていましたので…見逃したのかも知れませんね、あるいは、高齢者によくあるボケナス?かも^_^