(昭和30年代頃の私の思い出)
右隣はブリキ屋さん。ブリキ板をベニヤ板のように棚に横積みにして売っていました。多分、昔は流し台に今のようなステンレスシンクはないので、ブリキが重宝されてたと思います。
そんなわけで令和の今の世には見当たらない店が並んでいたことになります。
その頃の隅田川からは、川べりで吹くトランペット、川を往来する小型舟のエンジン音などもよく聞こえてきました。家のニ階から見える隅田川の眺めが好きでした。筏(いかだ)流しまでありました。歌川広重の浮世絵、名所江戸百景の中に「大はしあかけの夕立」があります。ひどい夕立のなか隅田川を蓑と笠を身につけて、木材を組んだ筏に乗り川を下るあの浮世絵そのままです。たくさんの長い木材を先導の筏の上で、長い竿を器用に操り川を下っていく。私たちは筏乗りのおじいさんと呼んでいましたがそんな技術を身に付けるためにはさぞや鍛錬が必要で身体能力も素晴らしかったに違いありません。
夏休みの夜半に目を覚まし、隅田川を見ると川から風が涼しく吹き、灯籠流しの明かりが水面に揺れて、その波間に屋形船が浮かんでいる。花火舟ならぬ灯籠流し見舟とでもいいますか、内から聞こえる三味線は芸妓さん達の常盤津か清元か。「きっとあの船は深川の材木問屋の旦那衆だろうな。景気いいなぁ」と言う父の声。その、まるで絵に描いたような情景は数少ない父との貴重な思い出です。
今荒川の河川敷に来てます。橋の上をかけ抜ける江戸時代の人たちの体の線の美しさは見られませんが今来ている荒川河川敷から見る遠くのビル群がまるでこぼれたノコギリの刃ようなスカイライン、これはこれで面白いですよ^_^
大はしあたけの夕立の絵、見てみました。これは見覚えがあります。ゴッホもこの絵を模写したとか。そうでしょうとも、天才は天才を知る、です。
たったこんだけの文章の中にどんだけ当時の暮らしのざわめきがひしめいていることだろう。それでいて、ひとつひとつがくっきりと聞き分けられる情感、風のそよぎ、音色、時間のたゆたいは気持ちの揺らぎ、大人も子供も一緒の空間を生きていた少し前の暮らし、本当は懐かしくてはいけないのかもしれないですね。