4月24日(水)
古い歳時記を読んでいるとやたらと花に関する記述が多い、、…花に関する俳句のワンサカあることに、、仰天する。
花に仮託して何かを語る。
僕みたいに最近になって少し面白くなってきて俳句を弄び始めたものは野菊やカタバミやそこら辺の野草の見慣れた色に出会えれば、もうそれだけで充分だ。
表の空き地に突然出現した花畑のように春の色が乱れ咲いている。橙色、黄色、薄紫色、青色なんかもたまにある。
こっちが気分が好い時は…こんにちは、、なんて声をかけてしまう。
人為的でないだけに余計惹かれるのかもしれない。
昨日、KBCグループLINEへ投稿
した句
野草どもにわかに春色競いけり
夏くるぞ野草盛りだ種飛ばせ
なんてね、いい気なもんです。
(頼んでおいた本が届いた。概説日本美術史…A4版のハードカバー…写真類も大きく見やすい、お値打ち…ゆっくり楽しめそう。
こんな気分で本と向かい会えるなんて何かうれしい。
少しずつわかっていく楽しみなんだと思う。楽しければそれでいい、、と、ここで突然、昔、兄が小学生の僕に神田の古本屋から買ってきた理科図鑑のことを思い出した。
そうか、、写真を見る楽しみを覚えたのはあれが最初だったような気がする…思い出せてよかった)
あ、なるほど季重ね、、 春雨に濡れて色増す花壇かな
歳時記だからいろんな花の名前が出て来ると思いますが、実際は俳句になる花ってそんなに多くないんですよね。春だと圧倒的に多いのは、桜よりむしろ菜の花。こっちの方が庶民的だし、句になりやすいのかもしれません。桜の名句より菜の花のそれの方が断然多い。夏は牡丹や薔薇(薔薇って西洋っぽいけど、意外と古くからあるらしい)。秋なら桔梗とか竜胆、朝顔も夏でなく秋ですね(この辺がむずかしいところ)。冬は水仙か。たまに福寿草も。あ、これは「新年」として別途の扱いになるのかな。葉牡丹とか。
あと、一年中あるはずの葎なんかも、どういうわけか夏の季語になっていて、歳時記の内容もちょっと首をかしげることがあります(ちゃんと読んだわけではありませんが)。また、最近は咲く時期が早くなっているので、いくら旧暦でも新暦でも実態に合わないことが増えていますね。改定歳時記というのが必要かもしれません。でも昔の古い歳時記も、当時の風物や景色を知るうえで残しておいてほしいと思いますが。
野草は「総称」だから季語にはならないみたいで、それで春とか夏と言う語で季節を示して「季重ね」にならないのでしょう(よく知らないけど)。腕白な昔の少年の句、って感じですね。「俺も死ぬまで野草だぞ」ってエールが聞こえて来ます。
今日はこれから出かけます。ほんの数日お留守番をしていて下さい。
・春闌けて頁変わらぬ書見台 びすこ
陽気に誘われて出かけることが増えると、読書がおろそかになる。車の中で句をひねってみましょう。