4月22日(月)
職人の特技、、例えば居職、、ひたすら細く割いた竹や籐を編む、、家具屋の友人の親戚がこの仕事をしていたそうだ。
忘れていたけれど僕のところにも籐の細工ものが3つほどある、、中にはこれを仕上げるのに一冬使ったんじゃないかと思うものまである。
職人は時間つぶし?の名人だ。僕だって強弁すれば職人の末席ぐらいには座らしてもらって仲間入りをしたい。とにかく毎日同じ仕事を基本通りに飽くことなく続ける。
ひたすら他にやることがないので1つの作業に時間をかける。そう思えば暇つぶしは単なる暇つぶしには終わっていない…作品が出来上がっていくからだ。
暇つぶしにとても意味があることがわかる。暇つぶしをしながら?作品を作る。作りながらいろいろなことを考える。
そこでだ…牽強付会、、鍵盤楽器の指遣いを間違えて素頓狂な音を出してしまう…でもその音が面白かったら?
もちろんジャズのアレンジに使える。
そんないやらしいたなぼたを待っているわけではないけれど単純作業は考えているほど単純作業ではない。
そもそもその仕事なり趣味なりに取り組んでいる時、時間を忘れて没頭していたとしたら、それは体全体で何かを感じ取ろうとしている時…なんて生意気なことを考えてしまいます…
意図的に何かをしていても、必ずしも自分自身のことがわかっているわけではない。
年齢も関係ないかもしれない。体全体で何かをつかもうとしているときは、探ることで集中を引き出す。
他人の評価も入り込む余地がない。
取り組んでいるその人にとってはそんなもの何の意味もないからだ。
ものになるかならないかさえその段階では全く意味がないし、「モノ」…つまりうまくなるかならないか…その辺になると…うまいとは何かがやっと問題になってくる。
今また僕は1つのエピソードを思い出した。
この話は前にも、したかもしれません。戦後のアメリカのジャズの最盛期…音楽家たちが音楽理論を熱く語り合っている時…サッチモ、、ルイ・アームストロングがトランペットでそっと一音、吹いてみせた、、もしかしたらこの一音を解釈して見せろという軽いシャレだったかもしれない、、でも、その時そこにいた名演奏家たちはその一音に、全員水を打ったように打たれて、沈黙した。
よくできた作り話かもしれませんけど僕のお気に入りの1つです。
わかるとかわからないとかを超えていますよね。息を吹き込んだだけなのに。
あ、そうだ、、俳句にしたってそうだと思います、、(あーついに僕が俳句を語るようになってしまった、、この身の程知らずが愉快)。
誰かが、ある時そっとつぶやいた一言の俳句…もちろん本人が作ったものだとは思いますがつぶやいたとたんその人だけのものではなくなる…それが俳句だと思うとちょっと緊張感がありませんか?
今を掴むとはそういうことではないでしょうか。
自分がそれを作ったなどとは、思い上がりも甚だしい(自分に言い聞かせています)。
よし決まった…今日の記述はこれまで。
(何かをつかんだつもりになってこんな文章を書いてしまいましたが、、読み直してみたら何も言っていない…ラブレターを書いて一寝入りして読み返したら…何が言いたいんだかわからなくて破いて捨てる…みたいなものだろうか。でも、捨てたからなくなったわけではない。
書いたことに意味があるような気がする。
捨てたことに後悔してゴミ箱の中を漁ったことがありますか?
でもそんなことをしなくてもやった事は残っている、、どんな形で残っているのか…残された時間で探っていけばいい)
偶然できた模様に評価を下すのは人間ですよね。そうならばAIと一緒に評価を探っていく、、。 人間の五感の総動員である温かみを分析するのはAIにやらせるべきだと思います。 AIによる人間的な温かみを、会話や手仕事や日用品に反映させる事はこれから大いに発展すると思います。 手作りの温かみをぜひとも実現したいと思っている技術者は多いはずです。 仕上げの感触、機器を作動させるときのメカニックな音の良し悪しは僕が働きだしたときに既に大いに話題になっていましたから。 それと並行してどのような会話が人間の脳波を安定させるのか、気分を高揚させるのかなどの探求もしてほしいです。 今まで人間のワザや力に頼っていたものをどんどん機械に置き換えることは、特に産業革命以来、、休むことなく追求してきた結果がついにAIにたどり着き、これからの100年間は誰も想像がつかないような時代になってくると思います。 何を快いと感じるか、が意外と短い期間の間に変化する可能性もあると思います。 ところで…僕が興味を持っている1つで優先課題になるといいなぁと思っていることに、心の安定があります。 その結果が人間の家畜化であろうとまずはいちど安定させてみてほしいと思います。 実現していないことといえばそんなことぐらいしかもう残っていないような気もしますね。 それはもうAIと協働するしかない仕事だと思います。 協働の仕方が人間の能力ということだと思います。 手作りの温かみがそうであるように、、 え?そうなんですかね…これはもうSFの世界で、僕のチャチな頭では考えが及びません😅
職人、Handworker (ドイツ語でHandarbeiter)はその言葉が示す通り手を使う人で、最近どこかの知事が言ったように公務員とちがって頭を使う人ではない、と思われていますが・・・
この仕事も当然、AIに取って代わられることがないわけじゃない。作るものが機能一辺倒であれば、機械化や自動化も可能。材料を正確に切断する作業にはレーザーを使えば一寸の狂いもないものができる。
でもね、絵画や彫刻のような芸術品でなくても、日常品にも人間のセンスや趣向が反映されることが好ましく、だから家具から食器に至るまで人が介在したあとが見られるものを消費者は好むのですね。例えば、刺繍。今は手で刺したものは恐ろしく高いので刺繍用ミシンを使いますが、成果を見ると手作りと機械づくりの差は歴然としています。絨毯なども、手織りと同じものを機械で織っているけど、織り目が明らかに違う。人が作ったものには、その人の感覚とその人が掛けた時間が反映されていて、素人にも分かります。いわゆる「ぬくもり」とか暖かさがある。
それで先進的な装置やAIに、人間の手で作ったものと機械づくりの品を見せて、微妙な違いを分析させ、人為的に織り目や縫い目を微妙に(ここがコツ)不揃いにする、なんて技をやってのけたら、そこからその「あたたかみ」が生まれますかねえ。私、AIにこれをやってみせてほしいんですけど。